3・11その時を、新地町・聖ヨハネ教会・ときわ旅館で迎える!!(2/3)

2014-03-12(Wed)
新地駅を後にして、私は、聖ヨハネ教会に向かった。
以前報告したように、もうここに、聖ヨハネ教会の建物はない。
教会は高台にあり、直接津波の被害を受けることはなかった。
しかし、津波に襲われた信徒3名が死亡、行方不明となり、教会に避難した13名の命が助かった。
教会外壁の一部は崩れ、外が見えるほどだったが、避難者は、あるもので暖を取って救われた。
今日、あの時と同じように、白梅が咲いていた。
3年前は、満開だったと聞いたが、今年は寒かったせいか、やっと咲き始めた。

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教会の建物は、半壊の危険判定を受けた。
また、避難で留守になった建物に盗みに入る犯罪が目立つようになり、保全する方向に進んだ。
日本聖公会東北教区は、2011年12月4日、祭壇、聖具類を、仙台に移動させ、
2013年2月16日、聖ヨハネ教会の聖別解除式を行い、18日備品を運び出し、
3月12日、解体作業が始まった。
1936年12月に聖別された聖ヨハネ教会の建物は、77年を数え、いったん休みに入った。

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私は、聖ヨハネ教会の歴史と、震災からの3年間を、思った。
聖ヨハネ教会が出来て間もなく、アメリカとの戦争が始まった。
教会は敵国からの援助で出来た故、心苦しい時代もあった。
戦後、またアメリカからの支援を受け、豊かさと異文化の魅力から、教会は賑わった。
聖ヨハネ教会は、僅かな信徒で守られてきたが、震災で救いの家となり、住民との接点が出来た。
さらに、信徒同士の強い交流が始まり、それぞれが神に仕える役割を認識し、行動出来た。
阪神大震災を経験した神戸から、「緊急車両」で駆けつけ、支援物資を届けた聖職もいた。
戦争であれ、津波であれ、それは不幸な出来事であったが、お互いを隔てた垣根を、流し去った。
日本聖公会や東北教区のホームページ、ブログを読み、それを強く感じた。
そして、日本、東北にとどまらず、世界から注目され、聖ヨハネ教会は聖地となった。

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聖ヨハネ教会の跡地に、フキノトウが咲いていた。
その場所は、礼拝堂が建っていた所で、去年6月に来た時は、更地にされ何も生えていなかった。
建物の下で、今まで日も当たらず、フキノトウが育つ場所ではなかった。
よく見ると、フキノトウのほかに、色々な草花も、芽吹き始めていた。
新しい、命が始まったのだ。
聖ヨハネ教会の解体作業を通して、新たな交わりが始まった。
昔から聖ヨハネ教会と関わっていた人たちや、親が信徒だった人、日曜学校に通った思い出のある人などなど、
その関わりは、様々だ。
信徒が所有するスタジオで、月1度の礼拝も守られている。
その中から、神様の家族に加わりたい、洗礼を受けたい人が現れた。
教会家族にも、新しい芽が、確実に、芽吹いて来たのだ。

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プロフィール

司祭 ヨハネ 橋本光明

Author:司祭 ヨハネ 橋本光明
 Rev.John M.Hashimoto
福島県福島市にある吾妻高原聖アンナ教会の牧師・司祭。
出身地は、福島県いわき市平。
1947年(昭和22年)3月生。
日本聖公会仙台基督教会(宮城県)、鶴岡聖公会(山形県)、米沢聖ヨハネ教会(山形県)、二本松聖マリヤ教会(福島県)、福島聖ステパノ教会(福島県)の牧師および管理牧師、福島聖愛幼稚園の園長として勤務。
挙式組数が、3000組を超え、朝、夕の祈りに、挙式者を覚え、ご家族のご健康と、幸せを祈る毎日です。
モットーは、キリストが、十字架の死を通して、自己犠牲と無償の愛を示された。その愛を、自らも実践し、キリストの愛を、一人でも多くの人に伝えたい。

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