沖縄最終章

2010-02-04(Thu)
四日間の沖縄聖地巡礼の旅は、終わった。
もっと時間をかけて観たい所や、今回回れなかった所などが残り、沖縄を知るほどに、欲が湧き、急ぎすぎた旅行の印象だった。

タクシーに3度乗ったが、乗る度に、「今日、初めてのお客さんサァ!」、「今日、やっと、3組目だ!」、「もう、仕事がなくて、キビ刈りに実家へ行きたいくらいサァ。お客さんたちサァ、今日、2組目だよ!」と言われた。
運転手は、みんな派手なシャツを着て運転していた。
「沖縄らしくていいですね」と、褒めたら、「これサァ、制服が買えなくて、私服着てるだけサァ。前は、ちゃんと制服あったのにね!」との答え。
沖縄の経済も厳しそうだった。

今回の旅行の収穫の全ては、バスガイドにあった。
こと細かく、歴史から、データから、こちらが知りたいことを、タイミング良く、教えてくれた。
その中で、屋我地へ行った時、国立療養所沖縄愛楽園の説明があった。

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 ○ バスから見た、沖縄愛楽園

国立療養所沖縄愛楽園(こくりつりょうようじょおきなわあいらくえん)は、沖縄県名護市に位置する国立ハンセン病療養所であるが、キリスト教会、ことに、青木恵哉(伝道師、のちに聖公会・執事)の働きが大きかった。

青木 恵哉(あおき けいさい、1893年4月8日 - 1969年3月6日)は日本の伝道師。16歳でハンセン病を発病、香川県の大島療養所に入所、洗礼を受けた。回春病院に転院、ハンナ・リデルの感化を受け1927年沖縄の病友へ伝道に行く。焼き討ち事件などあったが、病友と守り続けた土地を基にして国頭愛楽園、(後に国立療養所沖縄愛楽園と改名)が誕生した。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

私は、愛楽園の存在は知っていたが、その歴史、先輩聖職者の功績については、知らなかった。
訪問の予定はなかったが、バスガイドは、それを詳しく、教えてくれた。

旅行の締めくくりは、首里城だった。
雨に降られ、また一部は、改修工事中で、その美しい全貌は見られなかった。

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中庭の花も、きれいだった。

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バスガイドは、最後の挨拶で、「沖縄は、海も、島も、とても美しいところです。私たちは、それを誇りに思っています。でも、それ以上に誇りに思うことは、沖縄、琉球の歴史の中で、50年ほどしか安定した時期がないほど、沖縄はその時代、時代に翻弄されてきました。でも、その中で、沖縄市民は、明るくそれを乗り越えてきたことです。今、基地問題が話題になっていますが、そうした中でたくましく生きています。そうした私たちの、生き方も、見てほしい、知ってほしいと思います。私は、これからも、バスガイドの仕事を通して、それを伝えたいと思います」と、述べた。

私は、本当に、沖縄に来てよかった。

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機内から、地上に輝く、富士山を見ながら、帰路についた。
富士山は、上から見下ろしては、魅力を感じられなかった。
富士の山は、裾野に広く広がる美しさがあってこそ、富士山だ。

沖縄も、本州からだけ見ては、分からない。
沖縄は、沖縄に行ってこそ、沖縄の心に触れられた。
もっと、もっと、述べたいことがあるが、一度に話すには、もったいないので、機会を見て、沖縄で見た、沖縄の心を伝えます。
なぜなら、沖縄には、聖地たるパワーがあったからです。

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プロフィール

司祭 ヨハネ 橋本光明

Author:司祭 ヨハネ 橋本光明
 Rev.John M.Hashimoto
福島県福島市にある吾妻高原聖アンナ教会の牧師・司祭。
出身地は、福島県いわき市平。
1947年(昭和22年)3月生。
日本聖公会仙台基督教会(宮城県)、鶴岡聖公会(山形県)、米沢聖ヨハネ教会(山形県)、二本松聖マリヤ教会(福島県)、福島聖ステパノ教会(福島県)の牧師および管理牧師、福島聖愛幼稚園の園長として勤務。
挙式組数が、3000組を超え、朝、夕の祈りに、挙式者を覚え、ご家族のご健康と、幸せを祈る毎日です。
モットーは、キリストが、十字架の死を通して、自己犠牲と無償の愛を示された。その愛を、自らも実践し、キリストの愛を、一人でも多くの人に伝えたい。

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