被災地を訪ねる・ときわ旅館・聖ヨハネ教会の現状報告(3/3)
2013-06-22(Sat)
ときわ旅館のすぐ近くに、磯山聖ヨハネ教会がある。
日曜学校の子供たちと歩いて、10分ほどだったが、
直線にして、200m、歩いた距離で、350mあった。
もちろん、依然歩いた道は、津波で流され、復興のため造られた砕石の道を進んだ。
ここも、周りの景色がすっかり変わり、はじめ、聖ヨハネ教会の位置が確認できなかった。
その理由の一つが分かった。
聖ヨハネ教会の建物がなかったからである。
地震と津波の時、周りの建物が崩壊し、教会だけ津波の被災を免れ、一時、避難場所だったと聞いた。
教会の建物は、古く傷んでいたが、持ちこたえたかと、安心していたが、
地震によりさらに痛みが増し、人の集まる教会としては、安全に問題があったのかもしれない。
なにもない教会跡地。
とても寂しい気持ちにさせられたが、後で、郡山市の三宅哲さん(三宅實さんの実弟)にお聞きしたら、
教会再建計画があると知り、安心した。
聖ヨハネ教会には、ここにしかない歴史がある。
そして、その歴史は続いている。
地震、津波の被害によって、その歴史を閉じてはならない。
教会正面入口から見て、左奥の位置に当たる場所に、立派な石の建築物があった。
周りがすっかり、木や草に覆われ、何に使われたのか、当時を偲ぶヒントは見つからなかった。
グーグルの航空写真で確認すると、その場所に小さな小屋があったことが分かる。
物置のようでもあるが、何度も教会に行ってても、この別棟の存在は分からなかった。
釜戸のように使われたのか、色々思い浮かべると、想像が尽きない。
下記のグーグルをクリックすると、現在の磯山聖ヨハネ教会の航空写真画像が見られる。
グーグルgoogle上の磯山聖ヨハネ教会
教会から、海を眺める。
震災前は、海岸に松林があり、こんなにはっきり海を見渡せることはなかった。
遠くに見えるあたりは、相馬港と原釜尾浜海水浴場。
拡大して見ると、復興した港の大型クレーンが見えた。
その下に見えるのは、海水浴に行った釣師浜海水浴場、河川の復旧工事と、流された田んぼの後。
今頃は、きれいな水田が見られ、海の風も心地よく、心休まる田園風景だった。
更地になった教会敷地の草の中に、一枚のドアが置き去りにされていた。
大きな十字架のように板が張られ、開き戸のようだ。
教会の画像を見て確認したが、余り開き戸はなく、ほとんど引き戸だ。
どこで使われていたドアだろうか。
ベストリー(礼拝準備室)だろうか。
または、別棟の戸だろうか。
ドアの痛み具合から見ると、外部に面していたようだ。
私だったら、このドアは保存して、再建の時に使いたい。
いや、私は、板1枚、くぎ一つに、愛着を感じる。
別のドアのものと思われる、金属のノブ。
私は、この錆び具合を見ただけで歴史を感じ、実際に使えなくても、保存したくなる。
何のことはない、単なる貧乏性かもしれないが…。
教会を離れる時、ひと吹きの風が、教会下のマーガレットの花たちを揺らした。
左右に揺れ、上下にお辞儀した。
私には、ただの花に思えず、何枚も、何枚も、シャッターを切った。
花は、何も話してはくれなかったが、私には、花一つ一つが、聖ヨハネ教会の方々の顔に見え、
懐かしくも、震災に負けない元気さを感じ、勇気を頂いた。
そういえば、先日、聖アンナ教会に、お母さん方の合唱団が練習に来られた時、
一人の奥様が、「私は磯山聖ヨハネ教会の信徒なんです」と、告白された。
「そう、小学校の時、日曜学校があって、礼拝に出席し、洗礼を受けました。
色んな思い出が、沢山ありました。
先日、実家が磯山なので、教会に行き、みんなと一緒に片づけにも参加してきました。
主人は、クリスチャンではないので、福島では、教会から離れていますが、
こうして、教会で歌うと、とても懐かしく感じますね」。
もう70歳近い、小柄な奥様だったが、このマーガレットのような、とても笑顔の素敵な方だった。

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日曜学校の子供たちと歩いて、10分ほどだったが、
直線にして、200m、歩いた距離で、350mあった。
もちろん、依然歩いた道は、津波で流され、復興のため造られた砕石の道を進んだ。
ここも、周りの景色がすっかり変わり、はじめ、聖ヨハネ教会の位置が確認できなかった。
その理由の一つが分かった。
聖ヨハネ教会の建物がなかったからである。
地震と津波の時、周りの建物が崩壊し、教会だけ津波の被災を免れ、一時、避難場所だったと聞いた。
教会の建物は、古く傷んでいたが、持ちこたえたかと、安心していたが、
地震によりさらに痛みが増し、人の集まる教会としては、安全に問題があったのかもしれない。
なにもない教会跡地。
とても寂しい気持ちにさせられたが、後で、郡山市の三宅哲さん(三宅實さんの実弟)にお聞きしたら、
教会再建計画があると知り、安心した。
聖ヨハネ教会には、ここにしかない歴史がある。
そして、その歴史は続いている。
地震、津波の被害によって、その歴史を閉じてはならない。
教会正面入口から見て、左奥の位置に当たる場所に、立派な石の建築物があった。
周りがすっかり、木や草に覆われ、何に使われたのか、当時を偲ぶヒントは見つからなかった。
グーグルの航空写真で確認すると、その場所に小さな小屋があったことが分かる。
物置のようでもあるが、何度も教会に行ってても、この別棟の存在は分からなかった。
釜戸のように使われたのか、色々思い浮かべると、想像が尽きない。
下記のグーグルをクリックすると、現在の磯山聖ヨハネ教会の航空写真画像が見られる。
グーグルgoogle上の磯山聖ヨハネ教会
教会から、海を眺める。
震災前は、海岸に松林があり、こんなにはっきり海を見渡せることはなかった。
遠くに見えるあたりは、相馬港と原釜尾浜海水浴場。
拡大して見ると、復興した港の大型クレーンが見えた。
その下に見えるのは、海水浴に行った釣師浜海水浴場、河川の復旧工事と、流された田んぼの後。
今頃は、きれいな水田が見られ、海の風も心地よく、心休まる田園風景だった。
更地になった教会敷地の草の中に、一枚のドアが置き去りにされていた。
大きな十字架のように板が張られ、開き戸のようだ。
教会の画像を見て確認したが、余り開き戸はなく、ほとんど引き戸だ。
どこで使われていたドアだろうか。
ベストリー(礼拝準備室)だろうか。
または、別棟の戸だろうか。
ドアの痛み具合から見ると、外部に面していたようだ。
私だったら、このドアは保存して、再建の時に使いたい。
いや、私は、板1枚、くぎ一つに、愛着を感じる。
別のドアのものと思われる、金属のノブ。
私は、この錆び具合を見ただけで歴史を感じ、実際に使えなくても、保存したくなる。
何のことはない、単なる貧乏性かもしれないが…。
教会を離れる時、ひと吹きの風が、教会下のマーガレットの花たちを揺らした。
左右に揺れ、上下にお辞儀した。
私には、ただの花に思えず、何枚も、何枚も、シャッターを切った。
花は、何も話してはくれなかったが、私には、花一つ一つが、聖ヨハネ教会の方々の顔に見え、
懐かしくも、震災に負けない元気さを感じ、勇気を頂いた。
そういえば、先日、聖アンナ教会に、お母さん方の合唱団が練習に来られた時、
一人の奥様が、「私は磯山聖ヨハネ教会の信徒なんです」と、告白された。
「そう、小学校の時、日曜学校があって、礼拝に出席し、洗礼を受けました。
色んな思い出が、沢山ありました。
先日、実家が磯山なので、教会に行き、みんなと一緒に片づけにも参加してきました。
主人は、クリスチャンではないので、福島では、教会から離れていますが、
こうして、教会で歌うと、とても懐かしく感じますね」。
もう70歳近い、小柄な奥様だったが、このマーガレットのような、とても笑顔の素敵な方だった。


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