被災地を訪ねる・ときわ旅館・聖ヨハネ教会の現状報告(2/3)

2013-06-19(Wed)
2011年3月11日(金)午後2時46分、東日本大震災が起きた。
福島市は震度6弱で、聖アンナ教会の一部が崩れ、駐車場に亀裂が入った。
その時の光景は、今でもはっきり思い出せるほど、強烈だった。
新地町は、それより強い震度6強、さらに激しい揺れだったに違いない。
そして、信じられない大きな津波が、新地町を襲う。
午後3時15分頃、釣師浜での津波は、15.9メートルの高さを観測した。

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各地を襲った津波の画像は、テレビ、ネットで何回も見た。
想い出や見覚えある場所での悲惨さは、筆舌に尽くしがたく、自分の受容能力を超えていた。
それでいて、直接の痛みもなく、何不自由のない環境で見ているせいか、
自分の現実との接点がなく、冷静だった。
今私は、その現場に立った。
ほとんどのがれきは片づけられ、こぎれいになったと思えるほどだったが、
津波が削り取ったその痕跡は、紛れもなく現実のこととなり、
そこに立つ自分の無力さと小ささを突き付けられ、打ちのめされた。
私は、湧き出る感情を押し殺すかのように、無我夢中で、シャッターを切った。

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この場所は、ときわ旅館を北に見て、川を挟んでの対岸だ。
橋が流されたので、ときわ旅館に行けず、その周辺を写した。
上の画像は、橋につながっていた南側の道路の一部。
完全に根元から削り取られている。
下の画像は、ときわ旅館が建っていたあたり。
残された松の木が、当時を偲ばせている。
河川の復旧工事が、少しだが進んでいる様子も分かる。

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ときわ旅館に向かうため、一旦西に向かって遠回りし、それから北へ向かう道を探し、
また東に向かうことにした。
途中、常磐線の踏切を通過した。
まだ、機器の一部が残っていた。
新地駅の方角を見る。
何も見えなかったが、遠くの森が二手に分かれ、線路が通っていた様子が窺える。

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その反対に見る北側は、すぐ宮城県境だ。
この線路跡は、復旧には使われないことが決まっている。
新地町の復興計画によると、新地駅は、海岸から西の役場近くに移設し、
駅周囲を「まちなか」にする予定だ。

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ときわ旅館の跡地に辿り着いた。
想像してはいたが、現場は、想像以上に変わってしまった。
ときわ旅館前の水は、川の水ではない。
地震で地盤沈下が起きたのか、津波の勢いが地面に深く穴を掘ったのか、水が引かないのだ。
この辺りは、駐車場と畑、それにいつもきれいな花を咲かせていた庭があった。

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ときわ旅館の浴室跡が残っていた。
溜まり水が西まで伸びているが、あの辺りは、水田が広がっていた。
蛍が飛び交い、日曜学校の子供たちと感動した思い出がある。
砕石で道は確保されているが、あの中間ほどで、今井正道主教が、雨ごいの祈りをし、雨を降らせた。

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ときわ旅館から当時、海は見えなかった。
防波堤のように、5メートルの高さの海岸道路があり、夜、寝静まると波の音だけが聞こえた。

1960年5月22日15時11分(現地時間)に起きた、南米チリ大地震は、地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6.1mの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、日本の各地に被害をもたらした。
チリ地震津波(チリじしんつなみ)である。
その時、ときわ旅館にも津波が来たが、玄関まで来ただけだった。
三宅さんのご遺族は、そのことが、津波に対し無警戒にさせたのではなかったかと、悔やんでおられた。

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その防波堤のような道路は今はなく、ときわ旅館からは海続きになった。
海は、いつもよりも青く深く透きとおり、穏やかに優しく波打っていた。
2年前の津波など、想像さえできない、いつもの大好きな美しい海なのに、
三宅さんご家族は、帰らぬ人となった。
三宅實さん(75歳)、奥様のよしみさん(75歳)、娘さんのじゅんこさん(50歳)。
優しい笑顔が、忘れられない。

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新地町の復興計画によると、この地区は、住宅地には使えず、オートキャンプ場になる。
一つ一つが消え、失われていく。
私たちは、ただ悲しんでばかりではいられない。
三宅さんご家族からの声なき声を聞き、それを伝えていかなければならない。
そして、思い出深くお世話になったときわ旅館を、いつまでも語り続けなければと思う。

下記のグーグルをクリックすると、現在のときわ旅館の航空写真画像が見られる。
 グーグルgoogle上のときわ旅館

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プロフィール

司祭 ヨハネ 橋本光明

Author:司祭 ヨハネ 橋本光明
 Rev.John M.Hashimoto
福島県福島市にある吾妻高原聖アンナ教会の牧師・司祭。
出身地は、福島県いわき市平。
1947年(昭和22年)3月生。
日本聖公会仙台基督教会(宮城県)、鶴岡聖公会(山形県)、米沢聖ヨハネ教会(山形県)、二本松聖マリヤ教会(福島県)、福島聖ステパノ教会(福島県)の牧師および管理牧師、福島聖愛幼稚園の園長として勤務。
挙式組数が、3000組を超え、朝、夕の祈りに、挙式者を覚え、ご家族のご健康と、幸せを祈る毎日です。
モットーは、キリストが、十字架の死を通して、自己犠牲と無償の愛を示された。その愛を、自らも実践し、キリストの愛を、一人でも多くの人に伝えたい。

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