神、降りられるの里
2013-06-08(Sat)
午後6時前、雲に覆われた空が、急に輝き始めた。
私は、声なき声を聞き、カメラを構え、その時を待った。
すると、沈みかけた光が、雲の隙間から漏れ始め、光芒となった。
教会にいると、この光景は珍しくないが、その都度、荘厳な気持ちにさせられる。
キリスト教は、自然崇拝ではない。
しかし、自然の摂理を通し、神のイメージが豊かにされ、神との出会いを感じながら、
己の今の姿が、明らかにされる。
そして、ひたすら神の御心に思いを寄せ、神からのパワーを受けると、自分自身が変えられていく。
以前、このブログでも触れたが、このとき、私は、聖地に立っていると、意識する。
自分の生きている土地、そこが聖地と思っているからだ。
キリスト教での聖地は、普通、イスラエルのエルサレムなどを指す。
ほとんど、外国だ。
海外旅行愛好者は、飽くなき好奇心を持って、世界各地に出かけるが、
紛争の続いている中近東の聖地は、今まで敬遠されていた。
ところが今、むしろ、人気があるという。
有名なところをほとんど旅行し尽くした人が目指すのは、余り人の行かないところ。
つまりそれが、聖地旅行になったらしい。
聖地といっても、キリストが歩いた土地は、もう地下100メートルくらい下にある。
2000年前そのままの史跡は、ほとんど残っていない。
それでも聖地だと、自分に言い聞かせながら、その地に立って満足する。
だから、聖地に立った感動は、その地から離れると、薄れてしまう。
2010年1月26日掲載の「聖地について」
1979年のノーベル平和賞を受賞した、マザーテレサ(1910年8月26日-1997年9月5日)は、修道女として、インドのカルカッタで、「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く(神の愛の宣教者会の目的)」仕事をしてこられた。
この仕事に賛同して、世界中から沢山の人がマザーテレサのもとに集まって来たが、
「何をお手伝いしましょうか」というと、マザーテレサは、「あなたの住んでいる街に帰り、そこであなたを必要とされていることを行いなさい」と述べ、
ノーベル賞受賞の時のインタビューでは、「世界平和のために、私たちはどんなことをしたらいいですか」と聞かれると、「家に帰って、家族を愛して下さい」と答えた。
マザーテレサも、自分の生きる場所が聖地であり、神と共に交わる場所と、言いたかったに違いない。

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私は、声なき声を聞き、カメラを構え、その時を待った。
すると、沈みかけた光が、雲の隙間から漏れ始め、光芒となった。
教会にいると、この光景は珍しくないが、その都度、荘厳な気持ちにさせられる。
キリスト教は、自然崇拝ではない。
しかし、自然の摂理を通し、神のイメージが豊かにされ、神との出会いを感じながら、
己の今の姿が、明らかにされる。
そして、ひたすら神の御心に思いを寄せ、神からのパワーを受けると、自分自身が変えられていく。
以前、このブログでも触れたが、このとき、私は、聖地に立っていると、意識する。
自分の生きている土地、そこが聖地と思っているからだ。
キリスト教での聖地は、普通、イスラエルのエルサレムなどを指す。
ほとんど、外国だ。
海外旅行愛好者は、飽くなき好奇心を持って、世界各地に出かけるが、
紛争の続いている中近東の聖地は、今まで敬遠されていた。
ところが今、むしろ、人気があるという。
有名なところをほとんど旅行し尽くした人が目指すのは、余り人の行かないところ。
つまりそれが、聖地旅行になったらしい。
聖地といっても、キリストが歩いた土地は、もう地下100メートルくらい下にある。
2000年前そのままの史跡は、ほとんど残っていない。
それでも聖地だと、自分に言い聞かせながら、その地に立って満足する。
だから、聖地に立った感動は、その地から離れると、薄れてしまう。
2010年1月26日掲載の「聖地について」
1979年のノーベル平和賞を受賞した、マザーテレサ(1910年8月26日-1997年9月5日)は、修道女として、インドのカルカッタで、「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く(神の愛の宣教者会の目的)」仕事をしてこられた。
この仕事に賛同して、世界中から沢山の人がマザーテレサのもとに集まって来たが、
「何をお手伝いしましょうか」というと、マザーテレサは、「あなたの住んでいる街に帰り、そこであなたを必要とされていることを行いなさい」と述べ、
ノーベル賞受賞の時のインタビューでは、「世界平和のために、私たちはどんなことをしたらいいですか」と聞かれると、「家に帰って、家族を愛して下さい」と答えた。
マザーテレサも、自分の生きる場所が聖地であり、神と共に交わる場所と、言いたかったに違いない。


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