聖アンナ教会、200年の宝物
2012-08-24(Fri)
全国で、残暑厳しい天気が続いている。
福島では、8月21日(火)、37.6度となり、この日、日本の最高気温となった。
それでいて、相変わらず、福島は雨量が少ない。
果物は美味しくなるが、これでは、あまり実が大きくならない。
空高く上る入道雲を、雨乞いの思いで見上げている。
聖アンナ教会は、今年献堂して20年目を迎えている。
20年も経つと、あちこち修理個所が目立つようになった。
しかし、英国から移設した家具調度品は、ますます、その歴史に磨きをかけ、200年を経て、なお輝いている。
聖アンナ教会と言えば、礼拝堂内のステンドグラスが、一番に素晴らしいが、
入り口の古いドアをよく見ると、そこにも確かな時の流れを感じる。
これらのパーツは、まさに英国そのものである。
ロンドンより西150キロの港町、ブリストルの聖ミカエル教会より移設した。
潮風にさらされたのか、鉄製の器具に付いた錆びは、福島のような内陸と異なる。
ロンドンオリンピックの開会式では、18世紀に始まった英国の産業革命を演出したが、
この鉄は、まさにそれを引き継いでいる。
2という数字が付いているが、何を意味するのか分からない。
時の経過とともに、人間は、入れ替わる。
その中で時を経ながら生き残るものに接すると、いとおしくなる。
どうか、いつまでも、私たちを見守ってほしい。
いつもと変わらない姿で迎えてくれると、教会を訪ねて来た人は、ほっと安堵する。
義母が、去年の震災以降、体調を崩し、入退院を繰り返している。
今、家内と交代で、病院に寝泊まりしながら看病している。
そのため、思うように自分の時間が作れない。
当然、ブログに関わる時間も少ない。
もっと写真を撮って、ブログを書きたいのだが、しばしお許しを。
その分、看病しながら、本を読む時間ができた。
読み終えた一冊は「地方の論理 フクシマから考える日本の未来」著者 佐藤栄佐久+開沼博 発行所 青土社。
前の福島県知事の佐藤氏と、若き社会学者の開沼氏、共に福島県人である。
この本を読む切っ掛けは、佐藤氏が、2009年9月に出版した、「知事抹殺 つくられた福島県汚職事件」平凡社 を読み、佐藤氏に対し、強い関心を持ったこと。
また、佐藤氏は、県知事時代から、アンナガーデンによく来られ、聖アンナ教会のコンサートにも来られた。
公判中でも、カメラを首に下げ、アンナガーデンでよく見かけ、声をかけると気さくに話された。
開沼氏は、私と同じいわき市出身で、私の高校の後輩だ。
脱原発運動のさなか、開沼氏の指摘するポイントに惹かれた。
それは、ネットのニュースで見た記事だった。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120719-00000732-playboyz-soci"> デモや集会などの社会運動は本当に脱原発を後押しするか? 開沼 博
一般市民で、脱原発を表立って反対する人は少ない。
フクシマの復興を、福島県内の市民のみならず、日本全体、世界からも祈られている。
毎週金曜日、首相官邸前で行われる、反原発運動は、先日、19万人もの参加者を得、さらに昨日、代表と首相が会い、意見を述べた。
しかし、その動きに反して、電力会社、経済界は、1基でも多く、原発を再稼働する機会を狙っている。
本当に、脱原発の運動は、地についた活動となり、それを実現させることができるのだろうか。
開沼氏は、26年前起きたチェルノブイリ原発事故の、反原発運動と同じく、一時的な運動に終わるのではないかと、危惧する。
そして、原発で働く人、立地自冶体、電力、経済界、政治、複雑に組織が関わっている原発を、単に、反原発、脱原発と叫ぶだけで、それらを解決することはできないと述べる。
そこに、佐藤前知事の、地方からの政治を強く主張する姿勢が、呼応する。
一見、佐藤前知事の政治手法を美化するのかと心配するほど、丁寧にしかも、時期を得た紹介が続く。
それほどに、佐藤前知事の政策は、中央集権的でなく、地方からの政策に徹していた。
そして、今、「フクシマ」と表示されることが多い、それは、原発に傷ついたフクシマを意味して来たが、
この原発事故からの復興、そして、福島地方からの発信は、世界に誇れるフクシマになると、開沼氏は、大いに期待しながら述べる。
脱原発運動は、素晴らしい活動だと、私は強く感じる。
だからこそ、それを一時的な運動に終わらせず、根の張った活動となり、実現させていきたい。
我慢しないで、感情的に叫ぶことは必要だ!!
共にデモに参加することも、運動をより実現させることに近づく。
そしてさらに、脱原発のため、何から具体化して行くか、ビジョンを持つことは、さらに大事だ。
そのため、色々な人と話し合い、進む道を探りながら、協力、連携なしには、実現できない。
私は、近い将来「フクシマ」と呼ばれることに、大きな誇りが感じられることを、強く願っている。

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福島では、8月21日(火)、37.6度となり、この日、日本の最高気温となった。
それでいて、相変わらず、福島は雨量が少ない。
果物は美味しくなるが、これでは、あまり実が大きくならない。
空高く上る入道雲を、雨乞いの思いで見上げている。
聖アンナ教会は、今年献堂して20年目を迎えている。
20年も経つと、あちこち修理個所が目立つようになった。
しかし、英国から移設した家具調度品は、ますます、その歴史に磨きをかけ、200年を経て、なお輝いている。
聖アンナ教会と言えば、礼拝堂内のステンドグラスが、一番に素晴らしいが、
入り口の古いドアをよく見ると、そこにも確かな時の流れを感じる。
これらのパーツは、まさに英国そのものである。
ロンドンより西150キロの港町、ブリストルの聖ミカエル教会より移設した。
潮風にさらされたのか、鉄製の器具に付いた錆びは、福島のような内陸と異なる。
ロンドンオリンピックの開会式では、18世紀に始まった英国の産業革命を演出したが、
この鉄は、まさにそれを引き継いでいる。
2という数字が付いているが、何を意味するのか分からない。
時の経過とともに、人間は、入れ替わる。
その中で時を経ながら生き残るものに接すると、いとおしくなる。
どうか、いつまでも、私たちを見守ってほしい。
いつもと変わらない姿で迎えてくれると、教会を訪ねて来た人は、ほっと安堵する。
義母が、去年の震災以降、体調を崩し、入退院を繰り返している。
今、家内と交代で、病院に寝泊まりしながら看病している。
そのため、思うように自分の時間が作れない。
当然、ブログに関わる時間も少ない。
もっと写真を撮って、ブログを書きたいのだが、しばしお許しを。
その分、看病しながら、本を読む時間ができた。
読み終えた一冊は「地方の論理 フクシマから考える日本の未来」著者 佐藤栄佐久+開沼博 発行所 青土社。
前の福島県知事の佐藤氏と、若き社会学者の開沼氏、共に福島県人である。
この本を読む切っ掛けは、佐藤氏が、2009年9月に出版した、「知事抹殺 つくられた福島県汚職事件」平凡社 を読み、佐藤氏に対し、強い関心を持ったこと。
また、佐藤氏は、県知事時代から、アンナガーデンによく来られ、聖アンナ教会のコンサートにも来られた。
公判中でも、カメラを首に下げ、アンナガーデンでよく見かけ、声をかけると気さくに話された。
開沼氏は、私と同じいわき市出身で、私の高校の後輩だ。
脱原発運動のさなか、開沼氏の指摘するポイントに惹かれた。
それは、ネットのニュースで見た記事だった。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120719-00000732-playboyz-soci"> デモや集会などの社会運動は本当に脱原発を後押しするか? 開沼 博
一般市民で、脱原発を表立って反対する人は少ない。
フクシマの復興を、福島県内の市民のみならず、日本全体、世界からも祈られている。
毎週金曜日、首相官邸前で行われる、反原発運動は、先日、19万人もの参加者を得、さらに昨日、代表と首相が会い、意見を述べた。
しかし、その動きに反して、電力会社、経済界は、1基でも多く、原発を再稼働する機会を狙っている。
本当に、脱原発の運動は、地についた活動となり、それを実現させることができるのだろうか。
開沼氏は、26年前起きたチェルノブイリ原発事故の、反原発運動と同じく、一時的な運動に終わるのではないかと、危惧する。
そして、原発で働く人、立地自冶体、電力、経済界、政治、複雑に組織が関わっている原発を、単に、反原発、脱原発と叫ぶだけで、それらを解決することはできないと述べる。
そこに、佐藤前知事の、地方からの政治を強く主張する姿勢が、呼応する。
一見、佐藤前知事の政治手法を美化するのかと心配するほど、丁寧にしかも、時期を得た紹介が続く。
それほどに、佐藤前知事の政策は、中央集権的でなく、地方からの政策に徹していた。
そして、今、「フクシマ」と表示されることが多い、それは、原発に傷ついたフクシマを意味して来たが、
この原発事故からの復興、そして、福島地方からの発信は、世界に誇れるフクシマになると、開沼氏は、大いに期待しながら述べる。
脱原発運動は、素晴らしい活動だと、私は強く感じる。
だからこそ、それを一時的な運動に終わらせず、根の張った活動となり、実現させていきたい。
我慢しないで、感情的に叫ぶことは必要だ!!
共にデモに参加することも、運動をより実現させることに近づく。
そしてさらに、脱原発のため、何から具体化して行くか、ビジョンを持つことは、さらに大事だ。
そのため、色々な人と話し合い、進む道を探りながら、協力、連携なしには、実現できない。
私は、近い将来「フクシマ」と呼ばれることに、大きな誇りが感じられることを、強く願っている。


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