ハナモモとレンギョウ
2012-04-25(Wed)
ここは、福島市荒井戸ノ内、ハナモモとレンギョウが見事に咲いている。
ハナモモは、5分咲きくらいだが、レンギョウは満開だ。
他に、トウカイザクラも咲いていたが、こちらは盛りが過ぎていた。
空は厚い雲に覆われていたが、ここだけは、美しく輝いていた。

全原発停止となる、5月5日が近付いている。
政府は、それを阻止しようと、福井県の大飯原発の再稼働を急いでいるが、
地元のおおい町、福井県始め、原発防災重点区域の30キロ圏内に入る、京都府、滋賀県は、
政府の説明する、原発の安全性とその事故対策に不審を抱いている。

政府の態度は、とても分りやすい。
原発が稼働しないと、この夏の電力不足が生じ、産業や経済に深刻な影響を与える。
それを裏付けるように、各電力会社は、電力不足を声高らかに、叫んでいる。
又、火力発電は、燃料費が高く、それを補てんするため、電気料も値上げした。
1日も早く、原発を再稼働する事が、今の日本の経済と生活を立て直す、必要条件であるかのように。

では、原発すべて廃止する事は、以上の理由から、無理な作業なのだろうか。
そんなことはない。
それは、原発再稼働理由より、もっと分かりやすい。
一つは、フクシマに来て、フクシマの人々と共に暮らしてみることだ。
人一人いない避難勧告の町、村の姿、家財道具さえ持ち出せないまま、逃げ回る人々の苦しみ。
家族、友人仲間は、故郷を離れ、バラバラになった。
それを体験したら、原発の再稼働など、思うべくもない。
東北人は我慢強いから、じっと耐えているが、ほかの場所だったら、もう暴動が起きてもおかしくない現状だ。
それがフクシマだけの出来事でなく、いつ、自分の県、市、町が同じ惨状になるかもしれない。
原発は、恐ろしいものです。
二つ目は、どこの原発も、不安定な地盤の上に建てられている。
東電原発事故は、ほとんど、津波が原因とされているが、
これから解明されるであろう、地震による事故原因は、全ての原発を廃炉に導く。
つまり、日本の原発は、稼働するに相応しくない土地の上に建っている。
しかも、いつ事故が起きてもおかしくない未熟かつ、欠陥施設なのだ。
そして三つ目は、これが私たちにとって、一番身近な事であるが、
これだけ危険な原発に頼って電気を使うより、使わない不便の方が、ずっと耐えられるということ。
私たちは、震災と原発事故を通して、価値観の変更を余儀なくされている。
でもそれは、私たちを不幸にするより、もっと中身のある充実した幸せに導いてくれるように思える。
なぜなら、毎朝、線量計で放射線を確かめながらの生活ではなく、
安全で安心できる生活を、自分のものに出来るからである。

ここをクリックしてください
ハナモモは、5分咲きくらいだが、レンギョウは満開だ。
他に、トウカイザクラも咲いていたが、こちらは盛りが過ぎていた。
空は厚い雲に覆われていたが、ここだけは、美しく輝いていた。

全原発停止となる、5月5日が近付いている。
政府は、それを阻止しようと、福井県の大飯原発の再稼働を急いでいるが、
地元のおおい町、福井県始め、原発防災重点区域の30キロ圏内に入る、京都府、滋賀県は、
政府の説明する、原発の安全性とその事故対策に不審を抱いている。

政府の態度は、とても分りやすい。
原発が稼働しないと、この夏の電力不足が生じ、産業や経済に深刻な影響を与える。
それを裏付けるように、各電力会社は、電力不足を声高らかに、叫んでいる。
又、火力発電は、燃料費が高く、それを補てんするため、電気料も値上げした。
1日も早く、原発を再稼働する事が、今の日本の経済と生活を立て直す、必要条件であるかのように。

では、原発すべて廃止する事は、以上の理由から、無理な作業なのだろうか。
そんなことはない。
それは、原発再稼働理由より、もっと分かりやすい。
一つは、フクシマに来て、フクシマの人々と共に暮らしてみることだ。
人一人いない避難勧告の町、村の姿、家財道具さえ持ち出せないまま、逃げ回る人々の苦しみ。
家族、友人仲間は、故郷を離れ、バラバラになった。
それを体験したら、原発の再稼働など、思うべくもない。
東北人は我慢強いから、じっと耐えているが、ほかの場所だったら、もう暴動が起きてもおかしくない現状だ。
それがフクシマだけの出来事でなく、いつ、自分の県、市、町が同じ惨状になるかもしれない。
原発は、恐ろしいものです。
二つ目は、どこの原発も、不安定な地盤の上に建てられている。
東電原発事故は、ほとんど、津波が原因とされているが、
これから解明されるであろう、地震による事故原因は、全ての原発を廃炉に導く。
つまり、日本の原発は、稼働するに相応しくない土地の上に建っている。
しかも、いつ事故が起きてもおかしくない未熟かつ、欠陥施設なのだ。
そして三つ目は、これが私たちにとって、一番身近な事であるが、
これだけ危険な原発に頼って電気を使うより、使わない不便の方が、ずっと耐えられるということ。
私たちは、震災と原発事故を通して、価値観の変更を余儀なくされている。
でもそれは、私たちを不幸にするより、もっと中身のある充実した幸せに導いてくれるように思える。
なぜなら、毎朝、線量計で放射線を確かめながらの生活ではなく、
安全で安心できる生活を、自分のものに出来るからである。


ここをクリックしてください