3.11大震災の日が過ぎて
2012-03-14(Wed)
東日本大震災の、3月11日が過ぎた。
3月、この日を迎えるためか、少しナーバスになっていた。
去年のあの日を思い出すからか、テレビが津波などの映像を流すからか、
それとも、3月は、受験の季節で、若い時の緊張感を彷彿させるのか、
いつになく、不安の気持ちが続いた。
そして、その日が過ぎた。
春の光が眩しく感じながら、今、安堵の気持ちでいる。
恐ろしいほど不安で、明日のことも考えられない日々、それが過ぎたと実感した。
今日も、各地で、大きな地震が起きた。
もっと大きな地震が来るとの予報もある。
でも、3月11日が過ぎてから、もう、心が落ち着き、冷静に受け止められる。
3月11日の「祈りの集い」が、私に、一つ区切りをつけてくれた。
上の記事は、今日の福島民報に載ったものである。
これは、アンナガーデン主催で行われた、「東日本大震災の犠牲者追悼と、復興のための 祈りの集い」。
穏やかな天気に恵まれ、120名以上の参加者があった。
この日、各地で同じ様な集会があり、教会には、30名ほど来ればいいかくらいの気持ちでいた。
ところが、始まる予定時間前から、50名以上の人が席についていた。
一緒に聖歌を歌って始め、祈り、震災の時間に1分間黙とうし、献花をささげ、香で祝福し、鎮魂の鐘を鳴らした。
私はこの時、聖アンナ教会は、今日の日のためにあったのかと、身体が震える思いだった。
そして、震災の犠牲者、避難者を思いながら、復興への道を、共に歩む自分がいた。
私は、やっと、被災地を訪ねられる気がした。
私は、「祈りの集い」のポスター、式次第に、意識して赤い文字を用いた。
式服にも、赤いストールを選び、肩にかけて、祈った。
普通、追悼で用いられる色は、喪に服す意味で、黒やグレーである。
教会では色々な色を、その式に合わせて用いるが、赤は、聖徒の記念日に用いる。
赤は、キリストが十字架で流した血の色であり、殉教者が迫害されて流した血の色である。
私は、大震災で亡くなられた方々を、単なる犠牲者でなく、殉教者としてとらえた。
亡くなられた方を忘れないばかりか、その尊い死から、私たちが大きなことを学び、
さらにその事実を、次の世代へと、語り伝えなければならないからである。
大震災、原発事故、それらに共通していることは、人間のおごりであり、安全への無関心である。
1年過ぎても故郷に帰れず、何年先に戻れるかもわからない。
その意味で、故郷も、殉教者となった。
この悲しみを、この悔しさを、1年たっても、何年たっても、決して忘れてはならない。
私は、この思いを、「祈りの集い」のメッセージで、伝えた。
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3月、この日を迎えるためか、少しナーバスになっていた。
去年のあの日を思い出すからか、テレビが津波などの映像を流すからか、
それとも、3月は、受験の季節で、若い時の緊張感を彷彿させるのか、
いつになく、不安の気持ちが続いた。
そして、その日が過ぎた。
春の光が眩しく感じながら、今、安堵の気持ちでいる。
恐ろしいほど不安で、明日のことも考えられない日々、それが過ぎたと実感した。
今日も、各地で、大きな地震が起きた。
もっと大きな地震が来るとの予報もある。
でも、3月11日が過ぎてから、もう、心が落ち着き、冷静に受け止められる。
3月11日の「祈りの集い」が、私に、一つ区切りをつけてくれた。
上の記事は、今日の福島民報に載ったものである。
これは、アンナガーデン主催で行われた、「東日本大震災の犠牲者追悼と、復興のための 祈りの集い」。
穏やかな天気に恵まれ、120名以上の参加者があった。
この日、各地で同じ様な集会があり、教会には、30名ほど来ればいいかくらいの気持ちでいた。
ところが、始まる予定時間前から、50名以上の人が席についていた。
一緒に聖歌を歌って始め、祈り、震災の時間に1分間黙とうし、献花をささげ、香で祝福し、鎮魂の鐘を鳴らした。
私はこの時、聖アンナ教会は、今日の日のためにあったのかと、身体が震える思いだった。
そして、震災の犠牲者、避難者を思いながら、復興への道を、共に歩む自分がいた。
私は、やっと、被災地を訪ねられる気がした。
私は、「祈りの集い」のポスター、式次第に、意識して赤い文字を用いた。
式服にも、赤いストールを選び、肩にかけて、祈った。
普通、追悼で用いられる色は、喪に服す意味で、黒やグレーである。
教会では色々な色を、その式に合わせて用いるが、赤は、聖徒の記念日に用いる。
赤は、キリストが十字架で流した血の色であり、殉教者が迫害されて流した血の色である。
私は、大震災で亡くなられた方々を、単なる犠牲者でなく、殉教者としてとらえた。
亡くなられた方を忘れないばかりか、その尊い死から、私たちが大きなことを学び、
さらにその事実を、次の世代へと、語り伝えなければならないからである。
大震災、原発事故、それらに共通していることは、人間のおごりであり、安全への無関心である。
1年過ぎても故郷に帰れず、何年先に戻れるかもわからない。
その意味で、故郷も、殉教者となった。
この悲しみを、この悔しさを、1年たっても、何年たっても、決して忘れてはならない。
私は、この思いを、「祈りの集い」のメッセージで、伝えた。


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