放射線モニタリング情報・福島市立佐原小学校
2012-02-22(Wed)
福島県内のリアルタイム線量システムが、昨日から試験運用が始まった。
学校や公園などに設置された、2700台の線量測定システムが、やっと動き始めたのだ。
測定結果をみると、教会近くの福島市立佐原小学校が低く出ていたので、見学して来た。
この学校は、国体の年、1995年(平成7年)に再建され、立派な建物だった。
国体のメーン体育館に近かったため、小学校の体育館は、バレーボールの練習コートとしても利用された。
放射線モリタリング情報

今日の福島は快晴の良い天気となり、気温10.1度(午後2時50分現在)まで上がった。
佐原小学校は、聖アンナ教会から車で10分足らずの、自然に囲まれた、山のふもとにあった。
白い校舎は、青空に眩しく輝いて見えた。
校長は、田村先生といい、息子が小学校のとき、担任の先生で大変お世話になった。
この小学校は、原発事故の後、児童が沢山避難し、話題になった。
また、ミュージシャンのジョン・レノンの妻で芸術家のオノ・ヨーコが訪問し、児童たちを激励した。
その都度、田村先生は、何度もテレビに映り、取材に答えておられた。

田村先生に、その時の状況をお聞きした。
去年3月まで、先生5名、児童数28名で、複式授業、3クラスの小さな学校だった。
ところが、原発で避難して来た、南相馬市、葛尾村の児童が75名加わり、一気に児童数が4倍の103名となった。
それは、去年4月のことだ。
それを田村先生始め、5名で、対処していた。
今日現在、54名と少なくなったが、それでも、2倍の児童数だ。
この混乱した出来事が、児童たちのこれからの人生に、少しでもプラスの影響となるよう、願わずにはおれない。
学校玄関前に、線量測定システムがあった。
よく見ると、同じようなものが、2台あった。
下の画像左の1台は、去年11月までに運用する予定だった、不具合のシステムだ。
二日間動いて停止し、そのまま、撤去もされず残されていた。
佐原小学校での測定値は、午後1時47分現在で、0.089μSv/hだった。
福島市内では、茂庭小学校、野田小学校に並ぶ、低い値だ。
撮影中、教室から鍵盤ハーモニカと鼓笛隊の演奏が聞こえた。
みんな、放射能にも負けず、伸び伸びと元気に成長して欲しい、そう心から強く願う1日だった。
ここをクリックしてください
学校や公園などに設置された、2700台の線量測定システムが、やっと動き始めたのだ。
測定結果をみると、教会近くの福島市立佐原小学校が低く出ていたので、見学して来た。
この学校は、国体の年、1995年(平成7年)に再建され、立派な建物だった。
国体のメーン体育館に近かったため、小学校の体育館は、バレーボールの練習コートとしても利用された。
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今日の福島は快晴の良い天気となり、気温10.1度(午後2時50分現在)まで上がった。
佐原小学校は、聖アンナ教会から車で10分足らずの、自然に囲まれた、山のふもとにあった。
白い校舎は、青空に眩しく輝いて見えた。
校長は、田村先生といい、息子が小学校のとき、担任の先生で大変お世話になった。
この小学校は、原発事故の後、児童が沢山避難し、話題になった。
また、ミュージシャンのジョン・レノンの妻で芸術家のオノ・ヨーコが訪問し、児童たちを激励した。
その都度、田村先生は、何度もテレビに映り、取材に答えておられた。

田村先生に、その時の状況をお聞きした。
去年3月まで、先生5名、児童数28名で、複式授業、3クラスの小さな学校だった。
ところが、原発で避難して来た、南相馬市、葛尾村の児童が75名加わり、一気に児童数が4倍の103名となった。
それは、去年4月のことだ。
それを田村先生始め、5名で、対処していた。
今日現在、54名と少なくなったが、それでも、2倍の児童数だ。
この混乱した出来事が、児童たちのこれからの人生に、少しでもプラスの影響となるよう、願わずにはおれない。
学校玄関前に、線量測定システムがあった。
よく見ると、同じようなものが、2台あった。
下の画像左の1台は、去年11月までに運用する予定だった、不具合のシステムだ。
二日間動いて停止し、そのまま、撤去もされず残されていた。
佐原小学校での測定値は、午後1時47分現在で、0.089μSv/hだった。
福島市内では、茂庭小学校、野田小学校に並ぶ、低い値だ。
撮影中、教室から鍵盤ハーモニカと鼓笛隊の演奏が聞こえた。
みんな、放射能にも負けず、伸び伸びと元気に成長して欲しい、そう心から強く願う1日だった。


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