ブログ小説 「いつも、涙のそばに、君がいた。」 その14

2012-03-04(Sun)
吾妻高原聖アンナ教会献堂20周年感謝記念

ブログ小説 「いつも、涙のそばに、君がいた。」 慈与恩

その14(14/15)


 寺尾は、なぜか、自分の立場を忘れ、さらに老人に質問した。
「わたしは、神に愛されているのでしょうか。こんなわたしでも、赦し、愛してくださるのでしょうか」
「もちろん、神は誰に対しても、同じように愛しておられる。決して責めはしない。たとえ神の意志に反するようなことをしたとしても、神は愛しておられるので、赦して下さる。それが、あなたのよく知っている、キリストの十字架だ。神の愛がなければ、神は、キリストを、わたしたちの弱さや罪のために、十字架に付けることをお許しにならなかった」
寺尾は、老人を、まるで師匠から教えを乞うように強く見つめ、目を大きく見開き、顔を老人に近づけるようにしながら聞いた。
「それでは、これから、今まで背負ってきた負い目を、苦しまなくてもいいのですか」
「その通りだ。わたしは、そのことを言いたかった。あなたは、今まで、自分の重荷を、神を意識しながら、正直に苦しんできた。でも、もう苦しんだり、悩んだりしなくて、いいんだ」
 寺尾は、顔を元に引き戻し、肩をおろす仕草をし、微笑んだ。
 老人は、話を続けた。
「でも、苦しみや悩みは、苦しまなくてもいいと言われ、はい分かりましたと、簡単に、それから解放されるということではない。あなたは、それを充分に体験してきたことだ」
「わたしは、何度も祈りながら、自縄自縛の苦しみから解放を求めました。祈ることの安らぎはありましたが、その苦しみからの解放を、すぐに感じることはありませんでした」
「悩めば悩むほど、苦しければ苦しいほど、もがきながら、それから逃れたい、逃げ切りたい、それは必死だよね」
「自分だけの苦しみなら、まだしも、家族を巻き込んでの痛みや、苦しみは、とても耐えられませんでした」
「ヨブの妻は、ヨブの痛ましい姿に、思い余って、『あなたは、神を呪って、死になさい』とまで、言わざるを得ない情況だった」
「神は、そんな苦しみを、ただ見ているだけなのでしょうか。なぜ、その重荷を、すぐに開放し、安らぎを与えられないのでしょうか」
「それだけを見ると、すぐ、神はいない。また神は死んだ。神の存在を証明できる者は、誰もいないと結論付け、無神論が台頭する。
 わたしが病気で苦しんでいた時、まさに、それだったね。まだ若かった。わたし以外の仲間や友人は、元気に仕事や、遊びに夢中になっている時、わたしだけが、病室で、ひとり治療に専念していた。なぜ、自分だけなのか。なぜ、他の人でなく、自分が病気で苦しまなければならないのか、何度自問したことか。自分は、神、仏から見離された。それが、だんだん、病気の苦しみよりも、その孤独に苦しんだ。自暴自棄の中で、わたしは聖書に出会ったんだ」
「それは、とても辛かったでしょうね。わたしは、大きな病気をしたことがなかったので、今思うと、病人の気持ちを、本当は、よく理解できていませんでした。でも、わたしなりにこうして辛い経験をして、自分が駄目になってしまうこととは、こういうことなんだと体験し、病気の本当の苦しみを知りました」
「だから、病気を含めて、苦境にあるときは、何を信じていいか、何を頼るべきなのか、全く分からなくなるよ。神を信じるようになって、逆に、なぜ、神がいるなら、最初から苦しめなければいいのに。神が、本当にわたしたち人間を愛しているなら、なぜ、病原菌や、事故や、災害や、戦争が起こるんだと、すがろうとする神に、文句をつけたくなったよ。いや、それ以上に、もう、神なんか、信じるものかと思ったほどだ」
「それで、どうしたんですか」
「さっき、わたしがあなたに言ったように、神への理解が足りなかった。七年かかって、やっと気づいたんだ。神がわたしを愛しているという意味は、わたしが苦しんでいる時、神も一緒に苦しみ、痛みを感じておられるということを。
 あなたは、小鳥の巣立ちを見たことがあるだろうか。小鳥は、六月の初夏の頃、卵からかえった雛は、段々成長して、一人で飛べるようになる。でも、最初から飛べるわけではなく、枝伝いに、チョン、チョンと飛んで、飛ぶ練習をするんだ。ところが、中には、勢い余って、枝から落ちてしまう雛もいる。もちろん、飛べない雛は、恐怖のどん底に陥る。つまり、それを狙う、猫や、鷹などの猛禽がいるからね。ところが、親鳥が、それをちゃんと見守っているんだ。親鳥は、雛鳥が飛ぶために手を貸すことはないが、じっと、枝に止まって、小鳥が巣立つのを確認するように、そばに付いているんだ。もしかして、親鳥も天敵から襲われるかもしれない。でも、お互い、さえずりながら、雛をずっと、守っている。親鳥は、雛が自分自身で飛ばなければならないことを、身をもって、教えていたんだね」
「神と、わたしたちの関係も、それと同じだというのですね」
「そう。神は、人を、神に似せて造られたと聖書に書いてある。その意味で、神は、親みたいなものだ。でも、神は完全であられるが、人間を、完全には造られなかった。それは、神が親である以上、人間が、親である神になれないよう、はっきりと区別した。でも、神は、人間が、神に近づく方法を示した。それが、人間の弱さであり、苦しみであり、罪といわれるものなのだ」
「それでは、人間は、いつも苦しみ続けなければならないのですか」
「それはね、人間にとっては苦しみかもしれないけど、さっきの親鳥のように、神の痛みでもある。その痛みは、キリストの十字架の痛みに象徴されるが、わたしたちが悩めば、神も悩み、わたしたちが痛みを感じれば、神も痛みを感じておられる。そのようにして、わたしたちの巣立ちを待っているんだ」
「それは、なぜなんですか」
「それは、神が完全であられるように、人間も神の完全に近づいて、本当の安らぎを得て欲しいからなのだと思う。人間であるわたしたちは誰でも、痛みや苦しみは、遠慮したい。だから、それから逃れようとする。でも、そこから逃げては、本当の安らぎには、近づけないんだ」
「そんなに、苦しむことに、意味があるのですか」
「ただ苦しめば、それでいいと言う訳ではないんだ。その苦しみに意味を見出さなければね。あなたは、免疫という言葉を知ってるよね。おたふく風邪や、インフルエンザなど感染症の病気にかからないように、ワクチンがある。これは、弱い菌で、身体に抵抗力をつけて、わたしたちの身体を守る免疫性を高めるためだ。わたしたちの苦しみも、それと同じだ」
「でも、強く、抵抗力のある人は、どんどん強くなるかもしれませんが、わたしのように、弱く、その都度いつも最悪を考えてしまう人間には、あまりにも、過酷過ぎませんか」
「そこが、大事なところだよ。残念ながら、どんなワクチンも、薬も、百パーセント必ず、効くものがないように、親としての神が、わたしたちに示す愛は、人間全てに通じるかといえば、疑問かもしれない。ただ、受け取るわたしたちが、どれだけ、神の愛を受け止められるか、わたしたちにかかっている。神は、その自由をも、わたしたちに与えておられる」
「神は、わたしたちの苦しみや痛みを通して、わたしたちを強め、勇気付け、自立することを望んでおられるのか」
「そのためには、自分の一番嫌な痛み、苦しみにある自分をまず、受け入れることだよ。その自分を否定してはいけない。自分は、赦され、生かされていることを確信できるなら、弱いときこそ強められ、苦しいときこそ神と共にいる喜びを味わえる、そこに本当の安らぎがあるんだ」


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プロフィール

司祭 ヨハネ 橋本光明

Author:司祭 ヨハネ 橋本光明
 Rev.John M.Hashimoto
福島県福島市にある吾妻高原聖アンナ教会の牧師・司祭。
出身地は、福島県いわき市平。
1947年(昭和22年)3月生。
日本聖公会仙台基督教会(宮城県)、鶴岡聖公会(山形県)、米沢聖ヨハネ教会(山形県)、二本松聖マリヤ教会(福島県)、福島聖ステパノ教会(福島県)の牧師および管理牧師、福島聖愛幼稚園の園長として勤務。
挙式組数が、3000組を超え、朝、夕の祈りに、挙式者を覚え、ご家族のご健康と、幸せを祈る毎日です。
モットーは、キリストが、十字架の死を通して、自己犠牲と無償の愛を示された。その愛を、自らも実践し、キリストの愛を、一人でも多くの人に伝えたい。

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