ブログ小説 「いつも、涙のそばに、君がいた。」 その10
2012-02-26(Sun)
吾妻高原聖アンナ教会献堂20周年感謝記念
ブログ小説 「いつも、涙のそばに、君がいた。」 慈与恩
その10(10/15)
明るい日だった。教会を献堂して七年目の七月、梅雨は、まだ明けてはいなかった。でも、その日は、夏本番を思わせる日差しの強い日で、朝から暑かった。寺尾は、いつものように出勤した。この日は、朋恵に、父の車があったので、寺尾一人で、教会に向かった。車の流れは、順調だった。家を出る時間はいつもの通り、八時十分だったので、急ぐこともなく、少し、眩しい光を気にしながら、運転していた。そして、教会まであと二キロの地点まで来た。国道で片側二車線の大きな交差点を過ぎ、歩行者用押しボタン式信号のある横断歩道に近づいた。すると、進行方向右側の、道路中央緑地帯に、人影が見えた。信号は、寺尾の方が青だったので、同じスピードで、その横断歩道を通り過ぎようとした。と、そのとき、人影は、止まらず、横断歩道を渡ってきた。それは、一瞬だった。自転車を両手で支えながら、小走りに横断報道を歩いてきた。寺尾は、「危ない!」と、声をあげ、まさか寺尾の車のところまでは、来ないだろうと思いながら、急ブレーキを踏んだ。しかし、その人影は、もう寺尾の前にいた。車が止まりかけていた矢先、「ドン」という音と共に、その人影と自転車は、前方に跳ね飛ばされた。車は、横断歩道上に止まった。しかし、人は、十メートルも飛ばされ、横になっている。黒い物体と、液状のものが、散乱していた。寺尾は、自分の信号と相手の歩行者用信号の色を機械的に確認して、横になっている人影に近づいた。六十歳を過ぎた小柄な女性だった。その女性は、すぐ、
「大丈夫、大丈夫、歩いて帰れるから」と、言った。でも、額から血が流れていた。両脚が地面に投げ出されたまま、身体だけは起こしていたが、立上ることは出来なかった。寺尾はすぐ、
「大丈夫ですか。奥さんの信号は、赤でしたよ」
信号を相手に確認させながら、後ろから脇に手を回し、路上を引きずるように、静かに歩道に移動させた。
「わあ、申し訳ない。全然信号を見て渡んなかった。心配ないから、心配ないよ。すぐ帰れるから」
言葉には、力があり、元気そうだった。
「ちょっと待ってください。救急車を呼びますからね」
公衆電話を探した。ちょうど、その場所は、コンビニの前だったので、そこから消防署と警察署に電話した。人が集まってきた。被害者の安全を確認し、寺尾は、車をコンビニの駐車場に移動させ、被害者の傍で、状況を見守った。
すると、突然、白衣の人が、寺尾の側に来て、
「うちの病院に連れてきたらいい」と、言った。
いつも寺尾は知っていたが、気が動転し、そこまで気づかなかった。コンビニの隣は、救急病院だった。白衣の人は、医師だった。それを聞いて、寺尾はすぐ、お願いした。その病院に、救急車があり、その救急車で、被害者を病院に運んだ。被害者を見送った後、寺尾は、すぐ、教会に電話した。
「もしもし、寺尾ですが…」
「誰? あなた? あなたなの?」
教会にかけているつもりが、ダイヤルは、自宅にかけていた。
「ああ・・・。教会へ行く途中、人身事故を起こした。相手も、自分も、大丈夫だ。心配しないでいいよ」
「あなた、本当に大丈夫なの? 今、どこ、すぐ行くわ」
寺尾は、思いがけず、朋恵の声を聞いて、ほっとした。
事故の検証中、被害者に会えなかったが、交番の警察官が病院へ行って様子を調べ、寺尾に教えてくれた。
「被害者の伊藤さんは、意識がはっきりして大丈夫です」
寺尾は、それを聞いて、安心した。朝の八時三十分頃に事故が起き、伊藤さんの見舞いに行けたのは、十一時を過ぎていた。病室で、点滴を受けながら、横になっていた。寺尾は、すぐ事故を詫びたが、開口一番、
「悪かったね。赤信号だったのに、何でか、今日は、何も考えずに渡ってしまったもんだから。わたしは心配ないから、大丈夫だよ。歩いて帰ろうと思ったけど、足が全然、動かなくてね。入院しちまったけど、すぐ、退院できるさ」
そう、言って、顔色を悪くして立っている寺尾を、慰めてくれた。寺尾は、元気そうな伊藤さんを見て、また安堵した。
主治医が来て、寺尾を呼んだ。寺尾は、部屋から廊下に出て、話を聞いた。
「伊藤さんの具合だけどね。今元気そうだけど、心配なんだ。血圧が下がっている。レントゲンで撮っても、内出血がひどくて、よく見えないが、骨盤の骨折がある。これは、難しいことになる。骨盤の骨折は、出血を伴い、その出血を止める方法がないんだ。よく事故で、ショック死と言うのがあるだろう。それは、大抵、骨盤の出血から来ている。また、両足が、骨折しているかも知れない。でも、今は、出血を止め、血圧を安定にすることが大事だから、その処置はしていない。今晩が山かも知れない。一晩様子を見て、出血が止まり、回復の方向に向かえばいいのだがね。今の現状は、そんなところだよ」
寺尾の足が、少し震えているのが分かった。もしかすると、伊藤さんは、死ぬかも知れない。寺尾の事故で、一人が命を失うかもしれない、それを現実にどう受けとめていいのか、寺尾は分からなかった。ニュース、新聞では知っていた、交通事故、そして被害者の死、それがまさか、寺尾に降りかかるとは、信じがたいことだった。寺尾は、これからどうしたらいいのか、目の前が真っ暗になった。
夜、寝床に入っても、寺尾は伊藤さんの様子が気になった。そして、伊藤さんが死んだら、自分と家族はどうなるのか、シミュレーションした。
「結婚式が出来るのか、会社を辞めるのか、そうなったら、妻はどうなるのか、息子は、これからどんな人生を辿るのか」
考えれば考えるほど、次々、心配が湧き起こり、寺尾は眠れなかった。眠る余裕もなかった。そして、朝が来たら、早く病院へ行かねばと、夜明けを待ち焦がれた。
朋恵は、寺尾が何度も寝返りを打つので、声をかけた。朋恵も寝ていなかった。
「眠れないんでしょう。当たり前だわ。あんな事故に遭ったんだから。もし、こんなとき、グーグー寝ていられたら、それこそ、心配してしまう。今日眠れなかったら、明日、早く寝ればいいもの。大丈夫、大丈夫、神様が、あなたを守ってくれるわ。伊藤さんのことは、あなたの起こした事故だから、神様は、決して悪くなさらないわ」
次の日も、寺尾の不安を余所に、良い天気だった。いつもより早く、寺尾だけで教会へ向かい、途中、伊藤さんの病室へ、一目散に向かった。伊藤さんは起きていた。昨日と同じに、点滴を受けながら、細く小さな体を横たえていた。
「おはようございます。昨日は、申し訳ありませんでした。どうですか。痛みますか」
「わざわざ寄ってくれたの。お忙しいのに、申し訳ありませんね。昨日は気づかなかったけど、あちこち、痛みが走ってね。眠れなかった。傷が落ち着くまでは、まだ、かかるね」
声には力がなかったが、しっかりした言い方だった。
主治医が来てくれたので、話を聞いた。
「まずは、峠を超えたかも知れないね。血圧が安定してきた。熱は、微熱だが高い。足の骨折の様子がつかめないが、落ち着いたら、別な病院で手術が必要かも知れない。退院できるまで、一ヶ月、その後、リハビリで二、三ヶ月かかるだろう。とにかく、ここで出来ることで、最善を尽くすよ」
寺尾は、その話を聞いて、ほっとした。
「とりあえず、伊藤さんの死が遠のいた。治るまで、何ヶ月かかろうとも、生きて退院できる。ああ、良かった」


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