ブログ小説 「いつも、涙のそばに、君がいた。」 その2

2012-02-12(Sun)
吾妻高原聖アンナ教会献堂20周年感謝記念

ブログ小説 「いつも、涙のそばに、君がいた。」 慈与恩

その2(2/15)


 福島に勤務して七年目の十二月十五日、仙台の教区会館で、転勤の説明会があった。東北六県を網羅する教区に、二十三の教会があり、寺尾たち十八名の牧師は、数年毎に転勤していた。翌年の四月、寺尾の転勤先は、会津若松と決まった。
 ところが、異動を受けて一週間が過ぎた十二月二十二日、朋恵の妊娠がわかった。生まれれば、二人目の子供が授かる。寺尾は、小躍りして喜んだ。しかし、状況は、思わしくなかった。
 産婦人科医は、「妊娠反応はあるが、とても弱い。出産に漕ぎ着けるかどうか分からない」と、自信なさそうだった。しかも、こう付け加えた。「これは、きっと育っていないから、ほぼ流産します」
 朋恵は、二度、流産していた。寺尾たちは、同じ悲しみを味わいたくなかった。
「どうしても、今ある命なら、育てたい。今ある命を、生かしたい」、「もう、諦めかけている医師に任せることはできない」と、寺尾は判断し、十二月二十七日、希望を持ちながら、県立医大付属病院に朋恵を連れ、受診した。
 医大の若い医師は、
「確かに弱い妊娠反応ですが、まだ可能性はあります。すぐに、入院してください」
 朋恵は、緊急入院した。
 ちょうどその頃、教区では、転勤が正式に決定する期限になっていた。寺尾は、すぐ、巡回で秋田にいた教区長に電話した。
「家内が妊娠しました。しかも、今流産の危険があって医大に緊急入院しました。今の家内の様子では、動くことはできず、転勤は無理です」
「そうか。でも、転勤ができないかどうかは、まだ分からないな」
「いや、今の状況では、無理です。前の妊娠でも、動かすことは出来ず、十カ月、動かないようにして、やっと出産出来たのです」

 一月十四日、教区の理事会の開かれる前日、朋恵に異状出血があり、状態は良くなかった。次の日、朋恵を病院に一人残し、理事会のある仙台へ、寺尾は向かった。異動の変更をお願いし、朋恵を安心させたかった。仙台の教区会館の会議室は、教区会館の二階にあり、長方形のテーブルに、二十名ほど席が取れる広さがあった。理事会は、教区長を議長に、聖職理事三名、信徒理事三名で構成され、全員が出席していた。
 教区長は、寺尾を見つけると、すぐに言った。
「今回の異動は、変更できない。これは、わたしが決めたことだ。牧師からの申し出を、その都度、簡単に受けたら、異動の実施が出来なくなる。まず、あなたは、この異動を受け入れなさい」
「家内は、今、流産しそうな状況です。三月の転勤は、体力的に無理です。どうか、わたしの異動を、変更して頂きたいのです」。
「決めた通りに、準備しなさい」。
 異動は、他の理事の理解も得られず、変更出来なかった。

 病院に戻り、朋恵に会うや否や、担当医から呼ばれた。それは、最悪の結果だった。
「奥さんの妊娠は、現在、反応が無くなりました。明日、掻爬します。可能性はあったのですが、弱い妊娠で、時間の問題でした。残念ですが・・・」
 朋恵は、もう既に担当医から聞いて、覚悟を決めていた。転勤の話と流産の出来事が、頭の中で渦巻き、どう朋恵を慰め、励ましたらいいのか、寺尾に言葉がなかった。
「会津に行きましょう」
 寺尾の様子を見て、朋恵は、一言、そう言った。寺尾は、朋恵の目に光るものを見て、一緒に涙した。

 翌朝、寺尾は、いつものように、一人、礼拝堂にいた。
 寺尾の教会は、繁華街の真ん中にあった。間もなく百年を迎える、古い礼拝堂で、蝋燭の煙が染み込み、荘厳な佇まいの木造建築だった。アメリカ人の宣教師が建てたもので、建て方に、日本建築には見られない様式を、梁や外壁支柱に見られた。祭壇の正面壁面に、贅沢な欅の玉目を使い、天井に、竹のすのこを張り巡らし、両脇の古いガラス窓に、もう剥げ落ちていたが、絵が描かれていた。祭壇南側の壁に、方円形のステンドグラスがあり、そこから日が射し込むと、ちょうど、反対側の祈祷台を照らし、季節によって時間や角度は違ったが、自然のスポットライトになった。
 寺尾は、祈祷台に跪き、両手を合わせ、顔をステンドグラスの光芒に向け、神に語りかけるように祈った。
「主よ、わたしの道は、どこにあるのですか。家族を巻き込みながら、わたしは、心ない使命に身を預けなければならないのですか。たとえまた転勤することがあり、同じ状況になったら、家族をまた犠牲にして、あなたの道を歩まねばならないのですか」
 寺尾は、礼拝堂の、底冷えの寒さの中、白い息がはっきり見えるほど、大きな声で祈った。祈りの響きは、礼拝堂を一周し、ステンドグラスの光に吸い込まれ、消えた。祈りの言葉と言葉の瞬間、まるで香を焚く煙のように何度も白く、息が立ち上り、それも、また消えていった。新たに、何も見えず、何も聞こえない、いつもと変わらない礼拝堂だったが、祈りが終わるころ、心の揺らぎは、未知なる導きと変化し、寺尾に新たなビジョンを彷彿させた。


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プロフィール

司祭 ヨハネ 橋本光明

Author:司祭 ヨハネ 橋本光明
 Rev.John M.Hashimoto
福島県福島市にある吾妻高原聖アンナ教会の牧師・司祭。
出身地は、福島県いわき市平。
1947年(昭和22年)3月生。
日本聖公会仙台基督教会(宮城県)、鶴岡聖公会(山形県)、米沢聖ヨハネ教会(山形県)、二本松聖マリヤ教会(福島県)、福島聖ステパノ教会(福島県)の牧師および管理牧師、福島聖愛幼稚園の園長として勤務。
挙式組数が、3000組を超え、朝、夕の祈りに、挙式者を覚え、ご家族のご健康と、幸せを祈る毎日です。
モットーは、キリストが、十字架の死を通して、自己犠牲と無償の愛を示された。その愛を、自らも実践し、キリストの愛を、一人でも多くの人に伝えたい。

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