ブログ小説 「いつも、涙のそばに、君がいた。」 その1

2012-02-11(Sat)
吾妻高原聖アンナ教会献堂20周年感謝記念

ブログ小説 「いつも、涙のそばに、君がいた。」 慈与恩

その1(1/15)

 春の気配を感じる、冬の朝、牧師の寺尾貞吉は、妻、朋恵と、車で教会に向かっていた。
「今日は、冬と思えない、温かさだ」
「そう、コートがいらないくらいだわ」
「そのせいか、霧が出てきたね」
「今頃、よく霧が出るもの。もう、春の風が吹いたのかしら」

 町中に住んでいる寺尾たちは、毎朝、こうして、山間の丘にある教会へ、二人で出かけ、寺尾を教会に送り、夕方また、朋恵が迎えに来ていた。
 山に、残雪が見られるものの、道端の雪は、すっかり融けていた。霧に霞んだ、枝ばかりのクヌギやナラの雑木林を縫うように回り、教会の丘に上り着く。すぐ、正面に教会が見え、階段の上に、石張りの外壁、インド砂岩で縁取りされた枠に、古い木製の分厚い扉が目に付く。扉の上に、十字架が外壁に貼り付けてあり、その上には、天使の絵が描かれたローズウィンドーの丸いステンドグラス、更に、鐘楼の上に、朝日を浴びて、十字架が、銀色に輝いていた。
 と、そのとき、朋恵が叫んだ。
「わあー、奇麗。やっぱりそうだったわ。雲海が広がっている。今日は、得した気分」
「朝日に輝いて、感動的だ。市内の御山が、まるで、海に浮かぶ島のように見えるね」
 山に囲まれた盆地、その平地に街並みが広がり、真中の台地に、瓢箪の形をした御山があった。市内を流れる川から、雪融けの冷たい湿気を含んだ大気が滞留し、そこに春の温かい風が吹き込み、街は霧に覆われていた。そして、御山の高い所が浮き出て、まるで古刹の枯山水のように見えた。
「今日は、いつまでも、この景色を見ていたい感じだ。でも、この幻想的な現象は、日が昇ると、すぐ消えてしまうけどね」
「そんな悠長に構えている日に限って、お客さんが沢山来たりして」
 朋恵が茶々を入れる。教会を開け、鐘を鳴らし、朝の祈りのため、蝋燭に火を点した。祈りが終わると、朋恵は、いつものように、あたふたと帰っていった。寺尾が朋恵の車を見送ると、それと入れ違いに、人影が、ちらっと視界に入った。

 その人影は、教会に向かってきた。帽子をかぶり、丸い眼鏡をかけ、バックを肩に、旅行者風の男性だった。顔の表情が分かる頃、向こうから声がした。
「おはようございます。教会は、見学できますかね」
 七十代の、上品そうな老人は、どこから来たのか、疲れも見せず、目が輝いていた。
「教会に興味があるのですか。わざわざこんな山の上まで見に来られて・・・」
「いや、興味と言うほどのものではないが、若いとき、教会に通ったことがあってね。洗礼まで受けたが、会社に入って仕事一筋になったら、教会のことをすっかり忘れてしまったんだ。退職して仕事から離れたら、無性に教会に通ったことが懐かしくなってね。教会と聞くと、ついつい、来てしまうのさ」
「どちらの教会に通われたのですか」
「いや、どこの教会と言える程でもないよ。一度は忘れてしまった教会のことだ。でも信仰がどうだとか、聖書の教えがどうだとか、牧師先生から色々教えて頂いたことが、忘れてしまったかと思ったら、それが新鮮に、今でも、覚えているものなんだね。それが、青春の思い出というものか分からないが、今では、それしかわたしには残っていない、宝物のようなものさ」
 老人は、何か、大切にしている心の機微に触れたのか、目に光るものがあった。

 寺尾は、老人に魅かれるものを感じ、教会を案内した。礼拝堂は、まだ暖房を入れてなく、外よりひんやりしていた。礼拝堂正面のステンドグラスは、朝の陽射しを受け、温げだ。老人は、ステンドグラスを見ると釘付けになり、しばし言葉が無かった。
 祭壇正面のステンドグラスは、英国の古い教会から移設され、キリストの、十字架の受難の絵を中心に、左には、復活、右には、昇天の絵があった。その上に、それを賛美するかのように、二人の天使が見守り、真上には、キリストを意味する王冠が配置されていた。一目見るだけで、歴史が感じられた。絵は、格調高く、丁寧で細やかに描かれ、白を基調に、青、赤、黄色など色々な色が明るくまとめられた色彩は、眩しいほどであった。
 老人は、ゆっくり礼拝堂を見まわしながら、寺尾に尋ねてきた。

「あなたが、牧師になったということは、お父さんも、牧師だったのかね?」
「いいえ、父は、会社務めだったようです。でも、わたしが小学校に入学した年に、病気で亡くなり、今は、いません」
「ああ、それは、残念だったね。じゃー、牧師になるくらいだから、家族みんなで教会へ行ってたのかね」
「いいえ、それも違います。実家は、浄土真宗の檀家で、キリスト者になったのは、わたしだけです。でも、教会に行くようになったのは、父のお陰です。物心の付いた中学生の時、わたしは父の存在を求めるようになって、父の読んでいた聖書を見つけたのです。
 父の思い出といえば、それまでは、いつも病気で寝ている姿と、父が作ってくれたペープサートの人形劇、それに起き上がり小法師でした。わたしのことをよく可愛がってくれたようで、絵が上手かった父は、何でも自分で作り、それを使って、わたしと遊んでくれたようです。そう、祖母から聞きました。その中で起き上がり小法師は、父の病気の快復を願ってか、いつも父のそばにあり、色や表情の違う小法師に触れると、カチャ、カチャと音を立てました。転んでもすぐ起き上がる小法師のイメージから、父は病気からの回復を強く願っていたと思います。
 父の聖書に触れてから、父の内面に入れたような感動がありました。父は、聖書を読んで、何を求めていたのか、子供のわたしに、何を語りたかったのか、そのことを知りたくなったのです。また、聖書の神が、『父』と呼ばれていることから、亡くなった父と、聖書の神が、わたしの中で一つとなり、より親しみを感じ、わたしは、自然と教会へ行くようになりました」
 寺尾は、初対面の老人に、こんな個人的な話をすることに、もう、違和感がなかった。教会の事情を知っている、洗礼を受け、キリスト者だと分かると、話を聞いて欲しい心から、口が勝手に動いた。老人は、優しい静かな目をしていた。時折眼鏡を動かしながらの笑顔は、まるで、今まで寺尾達の生活を知っているかのような安心感を与え、更に懐かしささえ感じさせた。そして、老人に、この教会ができるまでの経緯を話し始めた。



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プロフィール

司祭 ヨハネ 橋本光明

Author:司祭 ヨハネ 橋本光明
 Rev.John M.Hashimoto
福島県福島市にある吾妻高原聖アンナ教会の牧師・司祭。
出身地は、福島県いわき市平。
1947年(昭和22年)3月生。
日本聖公会仙台基督教会(宮城県)、鶴岡聖公会(山形県)、米沢聖ヨハネ教会(山形県)、二本松聖マリヤ教会(福島県)、福島聖ステパノ教会(福島県)の牧師および管理牧師、福島聖愛幼稚園の園長として勤務。
挙式組数が、3000組を超え、朝、夕の祈りに、挙式者を覚え、ご家族のご健康と、幸せを祈る毎日です。
モットーは、キリストが、十字架の死を通して、自己犠牲と無償の愛を示された。その愛を、自らも実践し、キリストの愛を、一人でも多くの人に伝えたい。

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