アベリアの花、咲く!!

2011-07-13(Wed)
毎日、30度を超す暑さの中で、教会階段脇の、アベリアの花が咲き始めた。
まだ、強い花の香りは感じられないが、秋まで、アベリアは、咲き続ける。
ニイニイゼミ、アブラゼミが、近くで鳴き始めた。
今年は、早い、真夏を迎えている。

去年は10月にアベリアの花を載せた。   去年の、アベリアの花

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アベリアの花は、小さく、可憐だ。
咲いては、散り、咲いては、散る。
花の寿命が短いようで、長い。
まるで、菅首相みたいだ。
四面楚歌の菅首相だが、今日、「脱原発」を宣言した。

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なぜ、今日の日を選んで、「脱原発」を宣言したのか、テレビ番組で、色々語られている。

その一つは、今日13日、秋田市で、日本全国の自治体と共に太陽光や風力発電の普及を推進する自然エネルギー協議会が総会を開き、ソフトバンク孫正義社長による大規模な太陽光発電所建設計画が、第一歩を踏み出したことがある。

また、節電と騒がれる中、埋蔵電力といわれる、企業の自家発電能力は、原発50基分あり、東京電力の新社長は、関西に電気を支援できるほどであると話し、放送された。日本の必要な電気は、原発が無くても、賄えるということだ。原発が止まれば、経済は停滞し、企業が、海外に移転するという話は、一体どこの国の話か。

電力会社と各企業が一体になっている経済界、それに関わる官僚との事前協議をすれば、「脱原発」は潰される恐れから、菅首相は、このタイミングを選んだと、理解した。

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おおむね、新聞、テレビは、冷ややかだ。
辞める首相が、将来のエネルギー政策を語る資格はないと。
しかし、今いる政治家の中で、ここまで決断できる人がいるだろうか。
私は、菅首相を見て、明治の政治家、田中正造を思い出す。

田中正造
田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 大正2年(1913年)9月4日)は、日本の政治家。足尾銅山鉱毒事件を告発した。衆議院議員選挙に当選6回。幼名、兼三郎。
下野国小中村(現在は栃木県佐野市小中町)生まれ。名主の家ではあったが、田中本人によれば村では中流でそれほど裕福な家ではなかったという。
明治23年(1890年)、第1回衆議院議員総選挙に栃木3区から出馬し、初当選する。田中は帝国議会でも当初は立憲改進党に属していた。この年渡良瀬川で大洪水があり、上流にある足尾銅山から流れ出した鉱毒によって稲が立ち枯れる現象が流域各地で確認され、騒ぎとなった。
明治30年(1897年)になると、農民の鉱毒反対運動が激化。東京へ陳情団が押しかけた。当時このような運動には名前がついておらず、農民らは「押出し」と呼んだ。田中は鉱毒について国会質問を行ったほか、東京で演説を行った。農商務省と足尾銅山側は予防工事を確約、脱硫装置など実際に着工されるが、効果は薄かった。
明治33年(1900年)2月13日、農民らが東京へ陳情に出かけようとしたところ、途中の群馬県邑楽郡佐貫村大字川俣村(現在の明和町川俣)で警官隊と衝突。流血の惨事となり、農民多数が逮捕された。これを川俣事件と呼ぶ。この事件の2日後と4日後、田中は国会で事件に関する質問を行った。これが「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」で、日本の憲政史上に残る大演説であった。
明治34年(1901年)10月、田中は議員を辞職したが、鉱毒被害を訴える活動はやめず、主に東京のキリスト教会などで鉱毒に関する演説をたびたび行った。
12月10日、東京市日比谷において、帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴を行う。途中で警備の警官に取り押さえられて直訴そのものには失敗したが、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く知れ渡った。直訴状は、幸徳秋水が書いたものに田中が加筆修正したと伝えられる。
土地の強制買収を不服とする裁判などがあり、この後も精力的に演説などを行ったが、自分の生命が先行き長くないことを知ると、大正2年(1913年)7月、古参の支援者らへの挨拶まわりに出かけ(運動資金援助を求める旅だったともされる)、その途上の8月2日、足利郡吾妻村下羽田(現在の佐野市下羽田町)の支援者・庭田清四郎宅で倒れ、約1ヵ月後の9月4日に同所で客死した。下野新聞によれば、死因は胃ガンなど。財産はすべて鉱毒反対運動などに使い果たし、死去したときは無一文だったという。死亡時の全財産は信玄袋1つで、中身は書きかけの原稿と新約聖書、鼻紙、川海苔、小石3個、日記3冊、帝国憲法とマタイ伝の合本だけであった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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プロフィール

司祭 ヨハネ 橋本光明

Author:司祭 ヨハネ 橋本光明
 Rev.John M.Hashimoto
福島県福島市にある吾妻高原聖アンナ教会の牧師・司祭。
出身地は、福島県いわき市平。
1947年(昭和22年)3月生。
日本聖公会仙台基督教会(宮城県)、鶴岡聖公会(山形県)、米沢聖ヨハネ教会(山形県)、二本松聖マリヤ教会(福島県)、福島聖ステパノ教会(福島県)の牧師および管理牧師、福島聖愛幼稚園の園長として勤務。
挙式組数が、3000組を超え、朝、夕の祈りに、挙式者を覚え、ご家族のご健康と、幸せを祈る毎日です。
モットーは、キリストが、十字架の死を通して、自己犠牲と無償の愛を示された。その愛を、自らも実践し、キリストの愛を、一人でも多くの人に伝えたい。

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