我が家の、もう一つのサツキ
2011-05-23(Mon)
我が家の、もう一つのサツキの花が、満開を迎えようとしている。
こちらも、いつになく、花数が多い。
サツキのそばを、マスクをした小学生が通る。
放射能測定値が高いので、自己防衛のため、帽子とマスクは、必需品となっている。
私の小学生時代、原水爆実験が、米国、ソ連、中国で行われ、放射能を帯びた死の灰が、空から降ってきた。
雨に濡れると、毛が抜けると言われ、なぜか、チョークを食べるといいと、先生が言っていた。

大震災が起き、原発事故が発生して、2カ月が過ぎた。
その復興は、確実に進んでいるが、被災地域の広さ、震災、津波の被害が甚大で、
遅々として、それが感じられない。
さらに、原発事故よる被害の拡大が、今も続き、先の見えない不安に、おののいている。
避難しておられる方の気持ちを思うと、何もできない自分が、申し訳ない。
でも、ただ、怯えていては、何も、前に進まない。
この状況から聞こえるメッセージを、今、しっかり、受け止め、二度と、同じ過ちを起こさないようにしなければ、
子供、孫たち、残される子孫に、顔向けが出来ない。
一つのメッセージ
大江健三郎氏は、3月28日の、ニューヨーカーに投稿して、「原子炉の製造において過ちを繰り返すことは、ヒロシマの犠牲者たちを裏切る、最悪の人命軽視です」と、述べた。
私は、1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した原子力事故、1986年4月26日にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故の後、原発に対し、不安に思うようになった。子供が生まれ、子供に対する影響が、一番深刻な問題と感じ、福島大学の清水教授の主宰する原発の研究会に参加した。このことに関しては、後日、お話したいと思う。
私たちは、原発事故を通して、その危険性を強く認識し、廃棄する運動に進まなければ、今の犠牲は、あまりにも、悲しすぎる。これこそ、原発を止める、不幸にして幸いな、チャンスである。
参照: 歴史は繰り返す 大江健三郎
二つ目のメッセージ
安全とは何かということだ。
国が安全だというから、安全だと判断することが、いかに危険だということを、今回、しみじみと感じた。
放射能が拡散するシミュレーションの情報を、県は、パニックを恐れて、公表しなかった。
国、県の立場に立つ者は、全体としての安全を考えるが、一人一人の安全は、考えてくれない。
沖縄戦においても、しかり、軍は、一般市民を守るどころか、国のため、自害することを命じた。
だから、自分の安全は、自分で守らなければならないこと、今回もそれを、強く再認識した。
今、安全だと宣言している政府関係者が、自分の家族を、すでに海外に避難させている噂を聞いた。
医師、医療関係者の家族が、自分の子供を放射線被害から守るため、県外に避難していると聞いた。
今受けている放射能の影響は、いつ表れるか分からない。
自分ができる防御方法や、いつでも避難できる方法を、自分自身で考えることが、とても重要だ。
安全は、決して他人任せでは、守れない。

三つ目のメッセージ
識者は、3.11の大震災が、時代の大きな変換点になると述べている。
今までは、「戦後」といった、時代の区切りを、将来は、「震災後」と、言い換えるほど、価値観が変化する、
新しい時代に入るだろう、と。
電力の3分の1を、原子力発電に頼っていたが、それは後退し、エネルギー政策が変わり、
オール電化で象徴される、快適な生活から、使い捨ての無い、より基本的な生活と変わる。
何が、本当の幸せか、根本から、変わらざるを得なくなる。
私は、それは、逆に、よりあるべき姿に戻り、自然と融和し、いい環境に戻る気がする。
私は、全てを科学や物に頼るのではなく、人間が本来持っている、心の絆を大切にし、
目に見えないものへの価値観を大切にする時代に移行することを、一人、願っている。

私のできる、一番有効な行動は、祈ること。
私は、神様が、今の状況を、被災者と共に、悲しんでおられることを、知っている。
神様からの救いを、今、どれだけの人が信じるか分からない。
でも、それは、あなたを通して、神様は、働かれる。
今、何かを感じたら、行動、しましょうよ!!
がれき一つ、動かすこと、祈ること、何でもいい。
あなたが、私が、感じるままに、行動に移すこと、それが、今、求められている。

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こちらも、いつになく、花数が多い。
サツキのそばを、マスクをした小学生が通る。
放射能測定値が高いので、自己防衛のため、帽子とマスクは、必需品となっている。
私の小学生時代、原水爆実験が、米国、ソ連、中国で行われ、放射能を帯びた死の灰が、空から降ってきた。
雨に濡れると、毛が抜けると言われ、なぜか、チョークを食べるといいと、先生が言っていた。

大震災が起き、原発事故が発生して、2カ月が過ぎた。
その復興は、確実に進んでいるが、被災地域の広さ、震災、津波の被害が甚大で、
遅々として、それが感じられない。
さらに、原発事故よる被害の拡大が、今も続き、先の見えない不安に、おののいている。
避難しておられる方の気持ちを思うと、何もできない自分が、申し訳ない。
でも、ただ、怯えていては、何も、前に進まない。
この状況から聞こえるメッセージを、今、しっかり、受け止め、二度と、同じ過ちを起こさないようにしなければ、
子供、孫たち、残される子孫に、顔向けが出来ない。
一つのメッセージ
大江健三郎氏は、3月28日の、ニューヨーカーに投稿して、「原子炉の製造において過ちを繰り返すことは、ヒロシマの犠牲者たちを裏切る、最悪の人命軽視です」と、述べた。
私は、1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した原子力事故、1986年4月26日にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故の後、原発に対し、不安に思うようになった。子供が生まれ、子供に対する影響が、一番深刻な問題と感じ、福島大学の清水教授の主宰する原発の研究会に参加した。このことに関しては、後日、お話したいと思う。
私たちは、原発事故を通して、その危険性を強く認識し、廃棄する運動に進まなければ、今の犠牲は、あまりにも、悲しすぎる。これこそ、原発を止める、不幸にして幸いな、チャンスである。
参照: 歴史は繰り返す 大江健三郎
二つ目のメッセージ
安全とは何かということだ。
国が安全だというから、安全だと判断することが、いかに危険だということを、今回、しみじみと感じた。
放射能が拡散するシミュレーションの情報を、県は、パニックを恐れて、公表しなかった。
国、県の立場に立つ者は、全体としての安全を考えるが、一人一人の安全は、考えてくれない。
沖縄戦においても、しかり、軍は、一般市民を守るどころか、国のため、自害することを命じた。
だから、自分の安全は、自分で守らなければならないこと、今回もそれを、強く再認識した。
今、安全だと宣言している政府関係者が、自分の家族を、すでに海外に避難させている噂を聞いた。
医師、医療関係者の家族が、自分の子供を放射線被害から守るため、県外に避難していると聞いた。
今受けている放射能の影響は、いつ表れるか分からない。
自分ができる防御方法や、いつでも避難できる方法を、自分自身で考えることが、とても重要だ。
安全は、決して他人任せでは、守れない。

三つ目のメッセージ
識者は、3.11の大震災が、時代の大きな変換点になると述べている。
今までは、「戦後」といった、時代の区切りを、将来は、「震災後」と、言い換えるほど、価値観が変化する、
新しい時代に入るだろう、と。
電力の3分の1を、原子力発電に頼っていたが、それは後退し、エネルギー政策が変わり、
オール電化で象徴される、快適な生活から、使い捨ての無い、より基本的な生活と変わる。
何が、本当の幸せか、根本から、変わらざるを得なくなる。
私は、それは、逆に、よりあるべき姿に戻り、自然と融和し、いい環境に戻る気がする。
私は、全てを科学や物に頼るのではなく、人間が本来持っている、心の絆を大切にし、
目に見えないものへの価値観を大切にする時代に移行することを、一人、願っている。

私のできる、一番有効な行動は、祈ること。
私は、神様が、今の状況を、被災者と共に、悲しんでおられることを、知っている。
神様からの救いを、今、どれだけの人が信じるか分からない。
でも、それは、あなたを通して、神様は、働かれる。
今、何かを感じたら、行動、しましょうよ!!
がれき一つ、動かすこと、祈ること、何でもいい。
あなたが、私が、感じるままに、行動に移すこと、それが、今、求められている。


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