震災報告、その1
2011-03-24(Thu)
東北関東大震災から、間もなく、2週間になろうとしている。
地震のあった11日から、いつ、この悪夢から覚めるかと願っていたが、
覚めるどころか、その被害が、日に日に増し、津波さらに原子力発電所の事故も加わり、
戸惑いながら見るテレビの惨状と、刻々伝わる情報に、言葉もない。
被災者のことを思うと、とてもブログを書く気持ちなれないでいた。
ところが、更新しないのに、毎日、今まで以上に、たくさんの方が、全国からアクセスして下さった。
とても心強く思い、感謝を申し上げます。
拙い私のブログを待っている方を思い、奮起して、現状を報告します。
下の写真は、11日午後3時20分、礼拝堂内から外を見たもの。
教会正面壁の飾り石が、上半分ほど、入口に落ちていた。
もし、結婚式の最中で、逃げる人の上に、これら石が落ちたと思うと、ゾッとした。
外では、雪が降っていた。
地震直後に見たとき、教会前室に、土煙りが舞い、外が見えないほどだった。
次の写真は、私の執務する、司祭室の惨状。
内側への引きドアなので、最初、落ちた書物がつかえ、中に入れなかった。
14日になって、やっと中に入れた。
震災の日、管理棟で仕事をしていたので、パソコン、カメラは、司祭室に置いてなかった。
司祭室で仕事をしていたら、私も含め、落ちた荷物の下敷きになっていたかもしれない。

東北の教会関係者に連絡を取ると、たくさんの方が、被災していた。
この震災と津波の犠牲者、被災者の数は、想像を絶する。
ただただ、現状から、一刻も早い復興と、元の生活への復帰を祈っている。
私の住む地区の小学校に、避難した方々が来ている。
まだ寒い体育館、いつ、温かな家庭に戻れるのだろうか。

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地震のあった11日から、いつ、この悪夢から覚めるかと願っていたが、
覚めるどころか、その被害が、日に日に増し、津波さらに原子力発電所の事故も加わり、
戸惑いながら見るテレビの惨状と、刻々伝わる情報に、言葉もない。
被災者のことを思うと、とてもブログを書く気持ちなれないでいた。
ところが、更新しないのに、毎日、今まで以上に、たくさんの方が、全国からアクセスして下さった。
とても心強く思い、感謝を申し上げます。
拙い私のブログを待っている方を思い、奮起して、現状を報告します。
下の写真は、11日午後3時20分、礼拝堂内から外を見たもの。
教会正面壁の飾り石が、上半分ほど、入口に落ちていた。
もし、結婚式の最中で、逃げる人の上に、これら石が落ちたと思うと、ゾッとした。
外では、雪が降っていた。
地震直後に見たとき、教会前室に、土煙りが舞い、外が見えないほどだった。
次の写真は、私の執務する、司祭室の惨状。
内側への引きドアなので、最初、落ちた書物がつかえ、中に入れなかった。
14日になって、やっと中に入れた。
震災の日、管理棟で仕事をしていたので、パソコン、カメラは、司祭室に置いてなかった。
司祭室で仕事をしていたら、私も含め、落ちた荷物の下敷きになっていたかもしれない。

東北の教会関係者に連絡を取ると、たくさんの方が、被災していた。
この震災と津波の犠牲者、被災者の数は、想像を絶する。
ただただ、現状から、一刻も早い復興と、元の生活への復帰を祈っている。
私の住む地区の小学校に、避難した方々が来ている。
まだ寒い体育館、いつ、温かな家庭に戻れるのだろうか。


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