今日は、広島原爆の日

2010-08-06(Fri)
今日は、65年前、広島に、原爆が落とされた日だ。
出勤前に、NHKの、テレビ中継を見た。
黙祷の後、秋葉広島市長の平和宣言と、小学生二人のメッセージを聞いた。
国連事務総長や、アメリカ大使、各国の代表も参加し、国際世論にアピール出来たことは、大きな前進だ。
「核の傘」からの離脱と、核兵器の廃絶を、切に望む。
参考: 広島市長の平和宣言

前も話したが、この歳になって、平和の大切さを、しみじみと感じる。
私は、学生運動にも参加せず、政治には、疎かった。
でも、今は違う。
色々なことが、見えてきた。
今、平和の大切さを、強く、訴えなければと思っている。

今年、沖縄へ行き、その一歩を始めた。
広島、長崎も、是非、訪ねたい。
出来れば、今の若い人にも、行って欲しいと願っている。
修学旅行で、沖縄、広島、長崎の、どれか一つに行くことを、提案する。

広島市への原子爆弾投下
広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)では、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に、アメリカ軍が日本の広島市に対して投下した原子爆弾。これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡したとされる。

私は、原爆の日を前に、昨日、瑞龍寺を訪ねた。

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浄土真宗 瑞龍寺は、福島市渡利にある。
開山して、500年の歴史ある、この古刹は、ある大事な物を保管していることで知られる。
それは、福島市渡利に落とされた、模擬原子爆弾の破片である。
住職の、亘理正篤師(84歳)に、ご丁寧に、ご案内して頂いた。

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1945年(昭和20年)、広島原爆投下前の、7月20日午前8時30分過ぎ、この模擬爆弾は、福島に落とされた。
これは「パンプキン」と呼ばれた長崎型の原爆と同じ形、重量(約5トン)の、模擬原爆で、原爆投下の特命を受けた米軍の秘密部隊が訓練のため、全国28都市の軍需工場などを標的にして、計49発、投下した記録が残っている。
破片の下に展示してある写真が、パンプキン爆弾(模擬原子爆弾)。

パンプキン爆弾 
パンプキン爆弾(パンプキンばくだん、かぼちゃ爆弾、Pumpkin bomb)とは第二次世界大戦中にアメリカ軍が開発、使用した爆弾である。1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾(原爆)「ファットマン」の模擬爆弾として知られる。単に「パンプキン」と呼称される場合も多い。投下の目標とされたのは原爆投下候補地だった京都市、広島市、新潟市、小倉市の各都市を4つのエリアに分けた周辺都市(広島市ならば宇部市、新居浜市など、新潟市ならば富山市、長岡市など)にあった軍需・民間の大規模工場・鉄道操車場等であった。原爆投下候補都市は、原爆による威力を正確に観測するために、事前の空襲は禁止されていたために周辺都市が目標となった。1945年7月20日、新潟エリアである富山市・長岡市・福島市・東京都へ計10発投下されたのを皮切りに30都市に50発(うち1発は任務放棄し爆弾は海上投棄された)ほどが投下され、全体で死者400名・負傷者1200名を超す被害が出た記録が残っている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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福島に爆弾が落とされたのは、この1発だけで、落とされた地面は、直径35メートルの穴が開き、草刈りをしていた14歳の少年が、犠牲になった。
この破片は、少年の遺族から寄託され、瑞龍寺で、保管している。

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模擬原爆の破片を、触らせて頂いた。
鉄の塊といった感触で、片手では、持ち上げることが出来ず、ずっしりと重い。
およそ、縦20センチ、横50センチ、厚さ3センチで、重さが、15キロある。
これでも、原爆の、333分の1だ。
参考: 瑞龍寺と模擬原爆の破片

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差しピンを指に刺しただけで、悲鳴を上げる私に、例え、これが頭に落ちて来たとしたら、たまったものではない。
原爆の被害者の記録を読む度、戦争の残酷さを痛感する。
原爆の犠牲者の中に、捕虜になって、広島にいた米軍兵士、数十人、全員死亡した記録がある。
国のために戦場へ行き、捕虜になったが、その母国によって、殺された。
何と、一人の命を、軽く見積もることか!!

模擬原子爆弾に触れ、原爆を理解する糸口を見つけた。
原爆の日は、今日一日だけではない。
世界平和のため、また平和を切望する同志が増えるために、さらに語り続けようと思う。

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プロフィール

司祭 ヨハネ 橋本光明

Author:司祭 ヨハネ 橋本光明
 Rev.John M.Hashimoto
福島県福島市にある吾妻高原聖アンナ教会の牧師・司祭。
出身地は、福島県いわき市平。
1947年(昭和22年)3月生。
日本聖公会仙台基督教会(宮城県)、鶴岡聖公会(山形県)、米沢聖ヨハネ教会(山形県)、二本松聖マリヤ教会(福島県)、福島聖ステパノ教会(福島県)の牧師および管理牧師、福島聖愛幼稚園の園長として勤務。
挙式組数が、3000組を超え、朝、夕の祈りに、挙式者を覚え、ご家族のご健康と、幸せを祈る毎日です。
モットーは、キリストが、十字架の死を通して、自己犠牲と無償の愛を示された。その愛を、自らも実践し、キリストの愛を、一人でも多くの人に伝えたい。

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