沖縄戦が、終わる

2010-06-22(Tue)
沖縄で、梅雨が明けた。
沖縄では、毎日、いい天気が続く。
65年前も、快晴の日だったのだろうか。

1945年6月23日、組織的な沖縄戦が終わった。
沖縄の県民は、そう決めている。
しかし、悲劇は、それで終わったわけではない。
そこに、沖縄県民の、戦争、平和に対する、つよい願望がある。
だから、あえて、6月23日を、沖縄慰霊の日と定めた。

終戦の日
地上戦が行われた沖縄では、6月23日に組織的な日本軍の抵抗が終結した。このため、現在、沖縄県では6月23日を慰霊の日として休日としている。アメリカ軍による正式な沖縄戦の終結宣言は7月2日であるが、沖縄征服は6月30日と記録している。しかし、その後も日本軍による抵抗は続いた。9月7日、南西諸島守備軍代表は、嘉手納の米軍第10軍司令部で降伏調印し、沖縄戦は公式に終結した。このため、沖縄県の公式慰霊施設である平和の礎では、沖縄戦終結の日を9月7日としている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

沖縄の海d
沖縄の海:引用 Google沖縄の海の画像

解散命令と死の彷徨
米軍が間近に迫る中、6月18日の夜半、陸軍病院では、学徒に「解散命令」が下されました。「君たちは今日まで良く頑張ってくれた。今日からは自らの判断で行動するように」との一言で、敵の目前に放り出されることになったのです。突然の解散命令に壕内は混乱しました。動揺する生徒たちに、引率教師は「決して早まったことをしてはいけない」「安全な場所を探して一人でも多く生き延びなさい」と伝えました。重傷の学友を壕に残していくのも辛く、砲弾が飛び交う壕の外に出るのも恐ろしく、生徒たちはなかなか出て行こうとはしませんでした。意を決して壕を出たものの、行く当てもありません。砲弾の飛び交う中、傷ついて体を引きずりながら逃げる者、負傷した学友を助けて歩いていく者、重傷で動けずその場に倒れる者、砲弾に吹き飛ばされていく者、ガス弾攻撃を受ける者、手りゅう弾を胸に当て爆発させる者、海岸で大波にのまれる者など、行き場を失い、父母の名を呼びながら死んでいく生徒が続出しました。
6月下旬、沖縄守備軍壊滅状態の中、牛島満司令官は生き残った将兵に対し降伏を許さず、最後まで戦うことを命じ、自決しました。司令官の自決後、組織的戦闘は終わりましたが、米軍は掃討戦を続け、多数の住民、兵士が亡くなって行ったのです。
ひめゆりでは、3月の動員から解散命令を受けるまでの90日間の犠牲者は、19名に対し、解散命令後のわずか数日で、100余名が亡くなりました。
引用:ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック

沖縄にとって、6月23日は、平和を考える意味で、劇的な日である。
沖縄を見捨てた国が、住民の生命の安全を確保せず、国への忠誠のみを求めた、その姿勢を非難しつつ、今なお、沖縄に戦後がない事実を確認するため、この日を定めたと思う。
沖縄にある、国が作った慰霊碑が、決して、戦争を美化しないためにも、この日を、忘れてはならない。

日々平和を守る勇気を
日米最期の戦いであった沖縄戦が、未曽有のものであったといわれる一つの理由は、女子生徒たちが、兵士たちの看護のために、前線に出たということにあります。確かに、それは、大変なことでありましたし、忘れてはいけないのですが、さらに知って頂きたいことは、沖縄戦の敗北が明らかになった6月18日、解散命令によって、まだ元気だった生徒たちが、逆に生きる望みを断たれてしまったことであります。
沖縄戦の組織的な戦いが終了したのは、それから5日後の6月23日であります。生徒たちの多くは、解散命令の下った後、戦いが、もうやがて終わるという時点で、亡くなっていったのです。
あと、数日元気でいたら…。生き残った私たちが、日夜繰り返し思うことは、そのことであります。それが、戦争というものの恐ろしさなのです。
平和祈念資料館は、在りし日の学舎(まなびや)を模したものです。私たちは、そういう学舎で、希望に胸をふくらませ、さまざまな夢を語りあったのです。その夢が、戦争によって、無残に打ち砕かれてしまったわけです。私たちは、父母兄弟姉妹にみとられることもなく、亡くなっていった彼女たちの夢を、入館してくださる皆さんに、是非、彼女たちにかわって実現して欲しいと思いますし、日々平和を守る勇気を持ち続けて欲しいと願ってやみません。
     いはまくら かたくもあらむ やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは
 ひめゆり平和祈念資料館 初代館長 中曽根政善(当時、学徒隊の引率教師)
引用:ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック 挨拶文


関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

司祭 ヨハネ 橋本光明

Author:司祭 ヨハネ 橋本光明
 Rev.John M.Hashimoto
福島県福島市にある吾妻高原聖アンナ教会の牧師・司祭。
出身地は、福島県いわき市平。
1947年(昭和22年)3月生。
日本聖公会仙台基督教会(宮城県)、鶴岡聖公会(山形県)、米沢聖ヨハネ教会(山形県)、二本松聖マリヤ教会(福島県)、福島聖ステパノ教会(福島県)の牧師および管理牧師、福島聖愛幼稚園の園長として勤務。
挙式組数が、3000組を超え、朝、夕の祈りに、挙式者を覚え、ご家族のご健康と、幸せを祈る毎日です。
モットーは、キリストが、十字架の死を通して、自己犠牲と無償の愛を示された。その愛を、自らも実践し、キリストの愛を、一人でも多くの人に伝えたい。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
カレンダー
01 | 2021/02 | 03
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 - - - - - -
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード