今日、沖縄戦が始まった

2010-03-23(Tue)
偶然にも昨夜の9時から、TBS系のテレビで、「月曜ゴールデン 税務調査官・窓際太郎の事件簿⑳」が放映され、小林稔侍を主人公に、沖縄を舞台にして、ドラマが展開していた。ストーリーに興味はなかったが、沖縄へ行った時、このドラマの撮影ロケを見てきたこと、沖縄の撮影現場に、ほとんど行って来たことから、沖縄を思い出し、ドラマに流れる景色に見とれていた。

急に、沖縄戦と言われても分かりませんよね。
選抜高校野球大会の話ではなく、
先の戦争で、唯一、地上戦が行われた沖縄のことです。

沖縄戦の始まり
1945年(昭和20年3月23日)、米軍は沖縄への上陸作戦を開始した。戦闘機による激しい空爆と、戦艦による艦砲射撃で街が焼かれ、諸施設が吹き飛ばされていった。
引用:ひめゆり平和祈念資料館・ガイドブック

65年前、この日本に、戦争があった。
その史実を確かめるため沖縄に四日間滞在、そこで見て、聞いて、触れて感じたこと、それは、行く前から感じていたが、平和の大切さそのものだった。
戦争体験のない私が、沖縄へ行って変わったことは、戦争の悲惨さを、より具体的にイメージが出来るようになったことだ。
時間の許す限り、歴史に沿って、「ひめゆり平和祈念資料館・ガイドブック」の沖縄戦を引用しながら、平和の大切さを伝えたいと思う。

DSC02712ab.jpg
 ○ 平和祈念公園 よく整備されていたが、どこにも沖縄戦を思い浮かばせるものはなかった

沖縄戦の経過
日本の沖縄守備軍は総勢約11万人。それに対し、米軍の上陸部隊は18万3千人、後方部隊を加えると54万8千の大軍だった。兵力の少ない日本軍は、上陸地点で戦って短期間に兵力を失うことを避け、上陸後に米軍を沖縄に釘付けにすることで日本上陸を1日でも遅らせるという持久作戦を取った。持久作戦には自然洞窟が多い南部が適しているとして主力を置き、兵力を集中させた。この持久作戦が、沖縄戦を90日間にまで長引かせ、多くの住民を砲弾の戦場にさらし、犠牲者を増やした。
引用:ひめゆり平和祈念資料館・ガイドブック

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 ○ 平和祈念公園内に美しく咲くハイビスカス。この花は、誰のために咲いているのだろう

沖縄は、民間施設以外、どこも立派な建物だった。
国がお金を出しているのが良く分かった。
それは、沖縄の経済復興に、大いに役だったかもしれない。

しかし、立派な平和の礎のモニュメント、平和祈念資料館の建物、
いくつもの慰霊塔を見ても、そこから戦争の悲惨さが伝わってこなかった。
戦争を長引かせた軍の責任者の美談もある。
それらは、戦争の悲惨さを覆い隠すばかりか、美化していないかと危惧した。

それとは逆に、ひめゆり平和祈念資料館は、出来るだけ戦争の悲惨さを、そのままの姿で後世に伝えようと、ひめゆり部隊の語り部を立て、残された実物の資料を展示しながら、一貫して、戦争を否定、非難していた。

平和を愛する心は、どうしたら育むことが出来るのだろうか。
私は、機会あるごとに、戦争の悲惨さを語り続けること、それしかないと思う。
65年後、今の平和があるという保証は、何一つないのだから。

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プロフィール

司祭 ヨハネ 橋本光明

Author:司祭 ヨハネ 橋本光明
 Rev.John M.Hashimoto
福島県福島市にある吾妻高原聖アンナ教会の牧師・司祭。
出身地は、福島県いわき市平。
1947年(昭和22年)3月生。
日本聖公会仙台基督教会(宮城県)、鶴岡聖公会(山形県)、米沢聖ヨハネ教会(山形県)、二本松聖マリヤ教会(福島県)、福島聖ステパノ教会(福島県)の牧師および管理牧師、福島聖愛幼稚園の園長として勤務。
挙式組数が、3000組を超え、朝、夕の祈りに、挙式者を覚え、ご家族のご健康と、幸せを祈る毎日です。
モットーは、キリストが、十字架の死を通して、自己犠牲と無償の愛を示された。その愛を、自らも実践し、キリストの愛を、一人でも多くの人に伝えたい。

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