愛犬トムとの思い出
2018-08-22(Wed)
16年前の3月、生後3ケ月のトムは我が家に来て、家族の一員となった。
治療のため秋田から来た家内の両親は、大舘で秋田犬のブリーダーをしていた。
病気の回復を願ってペットショップを訪ねると、トムがいた。
トムを一目見るなり、私たちはすっかりその愛らしさのとりこになった。
犬種はダックスフンド、サイズはミニチュア、色はクリーム。
この犬は、もともとアナグマやウサギなどを獲る猟犬だ。
可愛い表情とは裏腹に、すぐ私の指を噛んだ。
幼犬の牙は、すぐに食い込んで、痛みが走った。
それが、最初の出会いだったが、その後も咬まれることは、しょっちゅうだった。
長男が帰省すると、トムはすっかり気に入り、自分のボスと決め、長男のそばを離れなかった。
一人っ子だった長男は抱くなり、もっと早く飼って欲しかったと言い、弟分にした。
長男はそれからトムに会うのを、帰省の楽しみにした。
親ばかと思われるが、トムほど可愛い犬はいなかった。
言葉こそ話さなかったが、心の通じる犬だった。
トムの表情には、最近の人間に出来ない心の通った感情表現があったからだ。
しかも甘え上手で、人間の心をつかむ極意も持っていた。
だから、ついつい甘やかしてしまった。
今回トムの思い出を語る上で、我が家の家族を登場させた。
トムを語るのに、家族と共にいる画像が必然だった。
義母は、トムの名付け親だ。
病んでいた母は、どれだけトムによって慰められ、癒されたことか。
奥土湯の女沼で、家内が撮影した。
母は、時間があれば読書をし、体調が良ければ、庭の草取りをした。
母が何もしていないと、トムは抱っこすることを要求し、読書を始めるとそばに座った。
本を読み終えると、トムはピョンピョン跳んで、母にまた抱っこを求めた。
トムは、庭の芝生で走るのが大好きだった。
時々走りを止め、芝の上に寝転び、臭いを嗅いでいた。
何だろうと近づいて見ると、ミミズを見つけ、友達になったのか、自分の臭い付けをしていたのだ。
トムは今、その芝のそば近くに休んでいる。
双子の孫にとって、トムはいい友達であり、いい先生だった。
トムは、孫たちにいじられても、なでられても、決して吠えることは無く、
一緒に遊ぶことを楽しみにしていた。
しかし、私が孫たちと遊ぶと、嫉妬し、吠えて自分と遊ぶことを要求した。
トムの成長と共に、孫たちも成長した。
トムはいつも体調がいいわけではなかった。
飛び跳ねるため腰を痛め、下半身が麻痺し、歩けないことがあった。
10歳過ぎてから、トムは自力で排便が出来なくなった。
会陰ヘルニアといい、老化で弱った筋肉の隙間から腸がはみ出て、排便の流れが止まったからだ。
家内が、肛門脇を押しながら排便させた。
お腹にふくらみがあった。
触っても痛がらない。
肝臓が会陰ヘルニア同様に、筋肉の隙間から出ていたのだ。
孫たちは、それらを熱心に見ていた。
何と言っても、トムが元気に走り回る姿が、一番美しい。
トムの表情が生き生きしている。
トムを思うと、この姿がすぐ思い浮かぶ。
亡くなるまで、この毛並みの美しさを保っていた。
私たちはもう、トムを肉眼で見ることは出来ないが、でも、トムを感じることは出来る。
家内が、トムの墓に止まるアゲハチョウを見つけた。
つい、「トム!!」と声をかけると、そのチョウは傍まで飛んできた。
トムの墓に、毎朝、コップで水を上げる。
ふと芝生を見ると、トムが走り回る残像が見えた。
トンボが孫たちの周りを飛び回った。
孫たちは、大きな声で、「トム!トム!」と叫んでいた。
今も、日常生活の中に、トムは生き続けている。
トムよ、16年間、ありがとう。
お前がいなかったら、こんなにも波乱万丈の中に、希望や安らぎや幸せを感じることはなかったろう。
トムよ、お前のおしっこの臭い、うんちの形、リンゴを丸のみして死にそうになった姿。
おしっこを漏らし急いで隠そうとするトム。
全てが、素晴らしかった、すべてが完ぺきだった。
トムよ、本当に、本当にありがとう。
治療のため秋田から来た家内の両親は、大舘で秋田犬のブリーダーをしていた。
病気の回復を願ってペットショップを訪ねると、トムがいた。
トムを一目見るなり、私たちはすっかりその愛らしさのとりこになった。
犬種はダックスフンド、サイズはミニチュア、色はクリーム。
この犬は、もともとアナグマやウサギなどを獲る猟犬だ。
可愛い表情とは裏腹に、すぐ私の指を噛んだ。
幼犬の牙は、すぐに食い込んで、痛みが走った。
それが、最初の出会いだったが、その後も咬まれることは、しょっちゅうだった。
長男が帰省すると、トムはすっかり気に入り、自分のボスと決め、長男のそばを離れなかった。
一人っ子だった長男は抱くなり、もっと早く飼って欲しかったと言い、弟分にした。
長男はそれからトムに会うのを、帰省の楽しみにした。
親ばかと思われるが、トムほど可愛い犬はいなかった。
言葉こそ話さなかったが、心の通じる犬だった。
トムの表情には、最近の人間に出来ない心の通った感情表現があったからだ。
しかも甘え上手で、人間の心をつかむ極意も持っていた。
だから、ついつい甘やかしてしまった。
今回トムの思い出を語る上で、我が家の家族を登場させた。
トムを語るのに、家族と共にいる画像が必然だった。
義母は、トムの名付け親だ。
病んでいた母は、どれだけトムによって慰められ、癒されたことか。
奥土湯の女沼で、家内が撮影した。
母は、時間があれば読書をし、体調が良ければ、庭の草取りをした。
母が何もしていないと、トムは抱っこすることを要求し、読書を始めるとそばに座った。
本を読み終えると、トムはピョンピョン跳んで、母にまた抱っこを求めた。
トムは、庭の芝生で走るのが大好きだった。
時々走りを止め、芝の上に寝転び、臭いを嗅いでいた。
何だろうと近づいて見ると、ミミズを見つけ、友達になったのか、自分の臭い付けをしていたのだ。
トムは今、その芝のそば近くに休んでいる。
双子の孫にとって、トムはいい友達であり、いい先生だった。
トムは、孫たちにいじられても、なでられても、決して吠えることは無く、
一緒に遊ぶことを楽しみにしていた。
しかし、私が孫たちと遊ぶと、嫉妬し、吠えて自分と遊ぶことを要求した。
トムの成長と共に、孫たちも成長した。
トムはいつも体調がいいわけではなかった。
飛び跳ねるため腰を痛め、下半身が麻痺し、歩けないことがあった。
10歳過ぎてから、トムは自力で排便が出来なくなった。
会陰ヘルニアといい、老化で弱った筋肉の隙間から腸がはみ出て、排便の流れが止まったからだ。
家内が、肛門脇を押しながら排便させた。
お腹にふくらみがあった。
触っても痛がらない。
肝臓が会陰ヘルニア同様に、筋肉の隙間から出ていたのだ。
孫たちは、それらを熱心に見ていた。
何と言っても、トムが元気に走り回る姿が、一番美しい。
トムの表情が生き生きしている。
トムを思うと、この姿がすぐ思い浮かぶ。
亡くなるまで、この毛並みの美しさを保っていた。
私たちはもう、トムを肉眼で見ることは出来ないが、でも、トムを感じることは出来る。
家内が、トムの墓に止まるアゲハチョウを見つけた。
つい、「トム!!」と声をかけると、そのチョウは傍まで飛んできた。
トムの墓に、毎朝、コップで水を上げる。
ふと芝生を見ると、トムが走り回る残像が見えた。
トンボが孫たちの周りを飛び回った。
孫たちは、大きな声で、「トム!トム!」と叫んでいた。
今も、日常生活の中に、トムは生き続けている。
トムよ、16年間、ありがとう。
お前がいなかったら、こんなにも波乱万丈の中に、希望や安らぎや幸せを感じることはなかったろう。
トムよ、お前のおしっこの臭い、うんちの形、リンゴを丸のみして死にそうになった姿。
おしっこを漏らし急いで隠そうとするトム。
全てが、素晴らしかった、すべてが完ぺきだった。
トムよ、本当に、本当にありがとう。
こちらからは、 ドローンで撮影した聖アンナ教会の動画 を見ることが出来ます。
なお、挙式されたお二人の、お幸せな画像は、こちらからご覧いただけます。Happy Wedding !!
( 掲載の画像は、お許しを頂いた挙式者様だけの画像で、挙式者様すべてではございません )
聖アンナ教会結婚式のイメージ!!
なお、挙式されたお二人の、お幸せな画像は、こちらからご覧いただけます。Happy Wedding !!
( 掲載の画像は、お許しを頂いた挙式者様だけの画像で、挙式者様すべてではございません )

