ブログ小説 「いつも、涙のそばに、君がいた。」 その11
2012-02-28(Tue)
吾妻高原聖アンナ教会献堂20周年感謝記念
ブログ小説 「いつも、涙のそばに、君がいた。」 慈与恩
その11(11/15)
伊藤さんは、その後の診察で、骨折はなく、二ヶ月もかからないで退院した。退院の日、寺尾と朋恵は、花束を持って、伊藤さんの自宅を訪ねた。
「大丈夫なの?」
朋恵は、帰る車の中で、寺尾に聞いた。
「ん、何のこと?」
「あなたの身体のこと。ずっと、眠れなかったでしょう。疲れてないの」
朋恵は、今まで、ずっと気にしていたが、寺尾の表情は、いつも、怖い顔をして、朋恵からの質問を寄せ付けない雰囲気だったので、聞くのを我慢していた。伊藤さんが退院した、この時を待っていた。
「大丈夫だよ。俺のことは、心配しなくていい。やれることは、全部やってきたし、伊藤さんの身体も、少しずつ、元に戻っている。伊藤さん夫婦を、これからも見守り、お祈りしていくよ。ところで、お前は、どうなんだ?」
「えっ、わたし?わたしは、もちろん、大丈夫よ。わたしは、あなたがいるから、何があっても、大丈夫なの」
「今回の事故で、お前のこと、あまり気にかけられなかったから、心配してたんだ。お前は、俺のことの他に、父さん、母さんのことがあったし、大変だったろう」
「うん、でも、何とかやってるよ。両親が福島に来て、わたしたち家族と一緒に暮らせること、本当は病気という形でない方がいいんだけど、わたしの夢だった。あなたのところに来たときから、わたしばっかり幸せでいいのかなって、大館で二人だけで暮らしている両親が、いつも、気になっていたから」
「あんな狭いアパートで、申し訳ないな。大館の大きい家に比べれば、我が家は、納戸にみんなで寄せ集まっているみたいだからなあ」
「欲を言えば、きりが無いわ。わたしは、今の狭いアパートが好きなの。というよりは、わたしたちの初めての家という感じがするの。
結婚生活が始まった鶴岡では、お風呂を沸かすのに、オガライトって言うの?おがくずを固めて燃料にしたもの。それを風呂釜で焚くと、ちょろちょろ燃えて、風呂が沸くのに二時間、冬は、三時間もかかったかしら。一戸建ての牧師館だったけど、いつも、玄関に鍵をかけたことが無いくらい、子供たちが出入りしていた。今で言う、学童保育のように、帰宅した小学生に勉強を教える集まりをしていたから、留守にしても、勝手に牧師館に入って、みんな、自由に遊んでいたもの。だから、『牧師館は綺麗に使うように』、『庭の草は綺麗に刈るように』と、所属信徒から言われ、また、古い家で、昼間でも暗いので、電灯を点けていると、電気代がかかると、信徒が勝手に消すものだから、住んでいたというより、なんか教会の使用人みたいだった。
福島では、トイレが無かった。幼稚園のトイレが兼用で、保育の邪魔をしない時間を見計らって、急いで用を済ませたわ。行事があるときは、とてもトイレに行けず、近くのスーパーのトイレを借りたこともあった。玄関も無く、鍵をかけられるのは、幼稚園の入口だけ、外に買い物に行くのにも、幼稚園を通っていく。
お風呂は、灯油を使っていたけど、それは、昔の石油ストーブのような燃焼芯に滲みた灯油を燃やし、それで焚く方法だから、一時間半はかかったかしら。しかも、水道蛇口が風呂場に無くて、台所から、ビニールホースで、水を引き、『熱くなったから、水、出して!』と叫ぶと、『はいよ!』って、あなたが水を出す。温くなりそうになると、『あなた、水、止めて!』と、わたしが叫ぶと、あなたが飛んできて、水を止める。どっかの山小屋でキャンプしているみたいだった。しかも、風呂場の排水は、下水道に直接流していたので、夜の時間帯では、近くの飲食店でトイレの使い方が頻繁になると、オシッコ臭い匂いがしていたし、ねずみ臭い時もあったわ。牧師館の外に、藤棚があって、春になると、綺麗に花が咲いたけど、その蔓が、縁の下をくぐり、風呂場まで届き、藤の葉が茂っていた。街中に住んでいながら、ジャングルの中でお風呂に入ってるみたいだった。それは、それで、その時は、無我夢中で過ごしていたから、楽しかった。そして、今、わたしは、鍵のかけられる玄関を持ち、一時間もかからないで入れるガス風呂があり、誰にも気兼ねしないで使えるトイレもある。わたしは、このアパートに住めると知った時、まるで、天国に住めるかと思うほど、嬉しかったの。そこに、両親を迎えて、一緒に住める。母の看病は、辛いけど、でも、ここでは、遣り甲斐があるの。毎日、家中掃除をしながら、『ここは、自分の家なんだ。誰にも文句を言わせない、自分だけの家なんだ』と思って、今まで味わったことの無い、快感を味わいながら、過ごしてるの」
「今思うと、いい思い出だったね。もう、あの生活には、戻れないね。今のような、文化生活をしちゃうとね」
寺尾と、朋恵は、久し振りに腹から笑った。朋恵は、寺尾の笑顔を見て、少し、目が潤んでいた。


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